このコーナー「やきものの常識は疑いやきものを信じよ!」は、近代以降、雰囲気や夢想あるいは「トンネルに幽霊がいる」といった類いの、どちらかといえば善良な部類のア二ミズム、または単なる迂闊にて語られ続け今や常識と化した、やきものにまつわる如何にも尤もらしい話をいろいろと疑ってみた結果、「それでもやきものは美しい!!」と宗教裁判をも恐れず言い切った先人に敬意を表したものです。
したがって、いかなる反論があろうとも私は知りません。姉妹コーナー(なぜこの手の話は例えば都市提携などでも、兄弟ではなく姉妹なのでしょう)である「やきものの常識は疑え!」(いつも命令調ですみません)では、雲霞のごとく押し寄せる反論を期待していたのですが、現在まで好評はいただいても反論は全くいただけず、とても寂しかったので今回は知りません。
また、本稿は乳幼児への読み聞かせにはさほどの実害はないと思われますが、その結果どのような大人になったとしても当方ではなく「やきものの精」のせいです。その場合、絵本のように添付の画像を見せて下さい。その小さい方が画像に興味を持たれるようでしたら、お連れ下されば実際に現物に触れていただきたいと思います。
尚、この欄に登場するやきものはすべて、売り物ではありません。
また最後に、本稿は単にいろいろなやきものをご覧いただく目的によるものであり、これといって他意はまったくありません。閲覧の結果、著しい嫌悪感を覚えられたとしても「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式にやきものまで嫌いにならないでいただけることを、やきもの共々心より祈っております。

3. 黒高麗扁壺

 

 

 

 

3. 黒高麗扁壺   李朝初期15世紀  高さ22.5cm胴径17.8cm×12.6cm

 

扁壺の「扁」は面を意味します。

通常、二面の平たい部分をもつのが特徴です。面がひとつでも扁壺といわれますが、面が三つ四つあっても、三角、四方などと呼ばれ、なぜか扁壺とはいわれません。

そのようなわけで、扁壺は「偏壺」ではなく、ましてや「変壺」などでもありません。たとえその壺がいかに偏っていようが変態的であろうが、です。

 

扁壺の原型は古代中国周時代の青銅器に遡ります。日本では5世紀以降の須恵器の「提瓶」というものが初出です。用途は「酒器」だ「水筒」だなどと、いろいろと言われていますが、その特定には無理があり詳細は不明です。

ただ、ひとつ言えることは、使用したり収納したりする際に容量の割に無駄な空間を取らずに済む、ということです。丸い壺では多くの死角が生じてしまいます(四角い壺であれば扁壺よりさらにスペースは有効に使えますが・・・)。この扁壺も見かけより随分たくさん入ります。これを見た者からはたいがい、五、六合くらいは入るのかと言われますが、実は一升一合(2000ml)入るのです。

 

作成時の都合においても、丸い壺の両面を叩いて平たい面を作るのでその分ひと手間増えはするのですが、そのぶん窯詰めにおいて様々な置き方を工夫でき、炎の流れを調整する分炎弁としても使えるのでけっこう重宝なものです。

 

さて、この黒高麗の扁壺ですが、黒釉というものは鉄やマンガンを主とする金属分がとても多く含まれているので、仕上がりがかなり不安定であるという特性があります。

それらの成分は融点が低く、流れやすく、また冷却時に結晶が析出しやすいうえ、素地土からの影響も受けやすいことなどにその原因があります。

不安定である、ということは仕上がりの振れ幅が大きいということですので、黒いやきものの出来不出来の差となれば、それはそれは凄まじいものです。

 

この黒高麗扁壺は、その点をまるで逆手に取ったような奇跡的な焼き成りを呈するものです。

黒高麗には大まかにはふた手あって、それぞれ施釉方法が異なります。ひとつは薄い地釉を掛けた上から厚めの釉を二度掛けしたもの、そしてもうひとつがこの扁壺のように、厚手の釉を総掛けしてすぐさま高台付近の釉を手で拭い取ったものです。

この扁壺は拭い取られた釉が逆流する際、斜めにわずかに隆起した筋となって残り、焼成中にちょうどその一部が隣接するものと軽く接触した結果、その隆起線を境に焼成条件が分かれたため、露出し降灰を受け冷却も早く進んだ部分は黒地に青、直炎からガードされ徐冷がかった部分は結晶の析出により黄で点描したような片身替りの「お見事!」としか言いようのない景色を形成していて、見るたびに眼が皿になったり点になったりするので、眼の運動になります。

そしてこの黒高麗扁壺のように、不利な要因をことごとく利点に変換することができればなあ・・・・と、少し悲しい気分になったりもするのでした。