このコーナー「やきものの常識は疑いやきものを信じよ!」は、近代以降、雰囲気や夢想あるいは「トンネルに幽霊がいる」といった類いの、どちらかといえば善良な部類のア二ミズム、または単なる迂闊にて語られ続け今や常識と化した、やきものにまつわる如何にも尤もらしい話をいろいろと疑ってみた結果、「それでもやきものは美しい!!」と宗教裁判をも恐れず言い切った先人に敬意を表したものです。
したがって、いかなる反論があろうとも私は知りません。姉妹コーナー(なぜこの手の話は例えば都市提携などでも、兄弟ではなく姉妹なのでしょう)である「やきものの常識は疑え!」(いつも命令調ですみません)では、雲霞のごとく押し寄せる反論を期待していたのですが、現在まで好評はいただいても反論は全くいただけず、とても寂しかったので今回は知りません。
また、本稿は乳幼児への読み聞かせにはさほどの実害はないと思われますが、その結果どのような大人になったとしても当方ではなく「やきものの精」のせいです。その場合、絵本のように添付の画像を見せて下さい。その小さい方が画像に興味を持たれるようでしたら、お連れ下されば実際に現物に触れていただきたいと思います。
尚、この欄に登場するやきものはすべて、売り物ではありません。
また最後に、本稿は単にいろいろなやきものをご覧いただく目的によるものであり、これといって他意はまったくありません。閲覧の結果、著しい嫌悪感を覚えられたとしても「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式にやきものまで嫌いにならないでいただけることを、やきもの共々心より祈っております。

9. 丹波片口小壺

 

 

9. 丹波片口小壺  15世紀 高さ11.8cm胴径cm11.9

 

 

今回は丹波ですよ。これが備前の場合だと「すずめ口」の典型的な形なのですが、丹波のものは備前以上に類例が少なく、あるいは互いに混同されている可能性もあるのですが、この形のものが出ると、大概「備前」と片付けられているようです。

今回掲出のものを「丹波」と断定できるのは、その土肌と、底部に灰を塗布する室町中期の丹波特有の手法によります。ちなみに備前の場合、成形の段階で轆轤盤上に撒き敷いた灰が底面に残り、それが焼成時に融けて灰釉のように見えることがあり、丹波とは釉と土との凹凸が逆になります。尤も、備前のすずめ口の場合は糸切り底であることが多いのですが。

さらにはこの片口壺は腰の部分にヘラ描き線刻による窯印が刻まれていますが、備前すずめ口では、なぜか注口下の真正面に大きく刻まれていることが多いのです(8.参照)。

 

今回これを「片口小壺」とつまらなく表記したのは、前記のように丹波でこの形のものの現存が備前や常滑に比べても稀なので、その地特有の呼び名が伝わっていないことによる理由です。

片口小壺では通常、備前のものが他より「くちばしが長い」のですが、この丹波はそれと同等かそれ以上に立派な嘴をしています。

前回の備前はいかにも「すずめ」らしかったのですが、この丹波は、しばらく眺めていると「ペリカン」にみえてきます。

面倒なことも袷呑んでくれそうで、頼もしいかぎりです。