1. 百万塔

百万塔

百万塔

 

奈良・法隆寺に伝世した百万塔は、日本の歴代小型造作物のなかで最も美しい木製の塔で、その絶妙な黄金比率で構成された造形は、同じ法隆寺の五重塔に比類する。

百万塔は天平宝字8年(764年)、太政大臣・藤原仲麻呂(恵美押勝)が孝謙上皇(後に称徳天皇)に対立した反乱に起因する。このクーデターは失敗に終わり、仲麻呂は後に近江国において一族ともに斬首となる。称徳帝はその「鎮魂のため」(後に述べる)三重小塔百万基に陀羅尼経を納め、「十大寺」(法隆寺・薬師寺・興福寺・東大寺・西大寺・元興寺・大安寺・川原寺・四天王寺・崇福寺または西隆尼寺など異説あり)に分置したもので、現在は法隆寺のみに残在する47,755基が公的記録である。

現在の研究者達が公に伏せたがる(これも後に述べる)事実としては、明治41年、法隆寺の「寺門維持基金」としての寄付金施納者に対し、「記念品」として1,400基贈与されたものが現在市場に流通する。掲出のものもそののうちの一基である。

このことは、法隆寺の「百万塔譲与規定第二項(明治41年)」にこう記載されている。

「百万塔が欲しい人は、本寺維持の基金として次の規定による金額を”喜捨”してください。金額によりそれぞれコンディションの異なる百万塔がもらえます。数量限定につき、お早めに願います。」

<第一種>金三十五円(「企業物価指数」によれば、明治41年の1円は現在の1,000円~3,000円ほどと見られる)の寄付者は100個限定で「塔部・相輪部・陀羅尼経共にほぼ完品(エクストラ・ミント・コンディション)」を進呈!

<第二種>金二十五円寄付してくださった方には、300個限定で「塔部は美品、・相輪部はチョイ傷有り、陀羅尼経は全文欠け無しチョイ傷有り(ミントコンディション)」を進呈。

<第三種>金二十円寄付してくださった方には、500個限定で「塔部は第二種よりやや落ちるも美品、相輪部も左に同じ。陀羅尼経は「全文有セザルモ別ニ印刷セル陀羅尼ヲ添フ」(原文)。要するに、「残欠とレプリカ」でしょうが!(※筆者注)

<第四種>金十五円の者は残り500個、塔部はイタミ中程度、ただし相輪部はイタミ大、レプリカ陀羅尼経付き。このときの陀羅尼はその後どうなったのであろう。(※筆者注)

以上、法隆寺百万塔譲与規定第二項全文(明治41年 ※筆者注 口語訳は筆者)。

さて、こういった正式かつ民族的に貴重な資料の公開を避けようとする行為を「現代的クソ役人根性」、「民俗学の敵」または「タテ割り社会の元凶」と呼ぶ。

だが、この項で特筆すべきことは実は他にある。

前述のなかの「称徳帝はその鎮魂のため」の下りなのであるが、称徳天皇のこの大事業は藤原仲麻呂ためのものでは全く無い。

これは広義にアニミズムといわれる、原始精霊信仰が擬人化したもので、「怨霊信仰」という。

通常、怨霊・穢れ・言霊(ことだま)と、3つでひとセットとなる。この国が一見無宗教に見えるのは、この怨霊信仰が最深部に強く根付いている理由による。またこれは、古代より現代に至るまで連綿と続く唯一の「伝統」である。現在、数多く見解する例としては、近年ますますその酷さを増してきた「言葉のすり替え」または「禁句」(言霊登場)、「部落差別」(「同和」にすり替え済、典型的穢れ思想)、「いじめ」(西洋のスケープゴートに穢れ思想をミックスしたもの。言葉として稚拙であり、適切ではないので早期に「すり替え」が望まれる)、「コンビニ冠婚葬祭」、先述の「事無かれクソ役人根性」、「あいかわらずトンネルに出たがる幽霊」(私ならそんなところには出ない※筆者注)。

これらはすべて、、自らに「祟り」が及ぶのを避けることを目的とした、儀式をともなう利己的信仰である。これらにかなりの問題があるとしても、その根底にある不変の怨霊信仰を認識できない限り、少しの改善も不可能であろう。

では話を戻す。

百万塔はこの国の歴史のなかでもっとも完成度が高く、かつ美しい小型造形物である。