短い やきものの常識は疑え!始めました。
「やきものの常識はまず疑え!(「まず」はなかったかも知れない)」では、文が長い(実際には草稿の五、六分の一ほどに省略している・・)、解らん(やきものに興味を持ち始めて間もない方々にも解る内容を、と常に心掛けているが・・)、という方もいらっしゃるそうなので、出来るだけ短く平坦に♡を心掛けてのこの欄です。自己営業妨害といえる本編で、すでに触れた内容もそうでないものもあります。 解りやすいが故に自律神経などに支障をきたし、ご家族に八つ当たりなされても当方は一切責任を負いませんので、その場合の捌け口は劣悪な国政ならびにそれを許容する現代社会にお求め願います。

その15.

 

その15. 「写し」の人

 

古典にあるものの忠実な再現を試みたものを「写し(うつし)」と呼ばれています。

因みに、現代製のものの忠実な再現は「パクリ」と呼ばれ、作者が自作を惰性で再現すると「自己模倣」となります。

古典の写しを見る者が「写し」というカテゴリーを意識する際には充分な注意が必要です。

その場合、その「写し」がどういった目的または動機で作られたのかを、同時に併せて読み取れない場合は、余計な定義付けはやめてただ見ることをお勧めします。写しをみて「写しだね」と言うのは、犬をみて「犬だね」と言うことと同じです。罪はありませんが意味もなく無駄な発言なので、乱発を続けていると「ボンクラ」だと認定されます。「写し」との認識には「何のための」という読み取りが同時に必須です。世の「写し」は贋作や安直に売る為に作られたものばかりではないのですが、その分別が出来ない人が只々「写し!」と乱発するようです。使い古された言葉の安直な「写し」だと思います。