朝鮮唐津徳利は流れる白釉の「下流のゆらゆら感」が命です。特にその先端の「河と海との境界」をひとつひとつ探してみて下さい。
呑みながらこれをやると、一合で三合分酔えます。私が朝鮮唐津を探すときの二大要素のひとつが、この「下流の」表情です。
サーッと滝のように直下する流れも、もちろん古陶にもあるのですが(藤の川内にもあるが、どちらかといえば「高取」に多い)、素地土の「湧き」と合い成ったこの「良いゆらゆら感」には、なかなか巡り合えないものです。
二大要素のあとひとつが下部三分の二を占める黒釉のテクスチャーです。
「良い黒」は先述の「良いゆらゆら」以上に稀なのです。
なぜならば、やはり先に述べたように釉材だけではなく、素地土の「湧き」が大きく関与するからです。
さて、この丸田宗彦氏の徳利なのですが、この二大要素を備え(丸田氏はこれの実現率がとても高いのです)、しかも姿がそれに添っています。やきものは立体造形物なので、造形(姿)は当然第一だろう、という意見も、もっともなのですが、やきものの恐しいことには、必ずしもそうではないのです。「完璧な造形」と「完璧な焼き」とが共に成功した結果、「凡俗な物体」と成り下がることだって、けっこうあるのです。
このあたり、かなり人間と似ているといえば叱られるでしょうか。
やきものには「理不尽にして不条理の深淵」がつきものである。ということです。
さて、この「丸田宗彦の朝鮮唐津徳利」から酒を注ぎ、ぜひこの「ゆらゆらとした深淵」、そして質実は堅固という、人の日常ではなかなか共存し得ないものを備えるこの徳利を、まずはお手に取ってご覧下さい。
(因みに余談、ですが、丸田氏の徳利は梅雨時に使用後二日放置したくらいでは、カビははえないのです。)