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山田洋樹さんの志野が、近現代以降で唯一の「ほんとうの志野」だという話は、これまで何度も繰り返し申しておりますが、その根拠として、志野に限らず「元」が存在し現在にその名称を使用する場合には、先ずはその「元」を高い精度で踏襲していることが必須であり、それが志野の場合では先ず釉調が生命であるという前提において、桃山時代の志野の中でも「卯花墻」や「広沢」などの一連の作品が基準となります。(因みに、志野には「ほんとうの志野」と「それ以外の志野」とがあり、後者にも「魅力のあるもの」と「それ以外のもの」とがあります。桃山のものでも“それ以外”はたくさんあります)。
やきものの場合、「ひと窯焚いてもなかなか良い焼き上がりのものが採れない」というのは、必ず何かが間違っているわけで、志野や黄瀬戸その他にせよ「素材とその処理」さえ正しければ、焼き成りに関する採れ率は常に安定するものです。
現代のやきものは、昆虫や松茸と異なり「なかなか採れない」ことを稀少価値としてはならず、やきものに於いて「めったに採れない」のは、単なる技能不足にすぎません。
適切な素材に出会ったとしてもその処理を間違うと別のモノとなり、姿が悪いと立体造形物として不可ということになってしまうわけなので、何をもって「失敗作」とするかという基準は、それぞれの技量や志、目筋などによりずいぶん幅があるものです。
山田洋樹さんは、先述の「ほんものの志野の釉肌」を極めて安定して焼き出すことができますが、氏の賞賛すべき真価は、その唯一無二の釉を微調整しながら、回を重ねる毎にそれを「良いやきもの」に進展させているところです。
本展も更に深化した「志野」が届いています。「志野に興味がある」という方はぜったい必見ですよ!!是非とも実物をお手に取ってご高覧下さいませ。