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このコーナー「やきものの常識は疑え!」は、やきものギャラリーおよび美術館の企画、または関連書籍や陶芸作家の言動や作品、あるいは、現代社会において楽しく充実した生活を送るすべを心得ておられ、現在この国は民主主義であると何の疑念も抱かずに受容されている方にとって、必要なことは何一つ書かれていません。閲覧により不快感、吐き気、嘔吐、食欲不振、めまい、ご家族への八つ当たり等の症状があらわれた場合、ただちに閲覧を中止し、当方ではなく医師・薬剤師・唎き酒師・祈禱師などにご相談下さい。乳幼児、小児にこれを読んで聞かせる場合はご家庭の教育方針への抵触にご注意下さい。また、本稿を閲覧しながらの自動車及び機械類の運転操作はしない下さい。

73. 酒盃の使い勝手、の話

 

前回の続編として、今回は酒盃の使い勝手についての話です。

 

酒盃には大別して、平盃、碗形、筒または半筒形があり、現在では俗に前ふたつは単に「盃」、後者が「ぐい呑」と呼ばれているわけです(最近では平盃にも「ぐい呑」と箱書きする作者が少なくないようですが、近代以前とそれ以降の語源は異なるものの、いずれも「ぐいのみ」は立ち姿の筒形のものを指すので、平形や碗形の酒盃をそう呼ぶのは誤りです。たとえ盃で「ぐいぐい」と呑んだとしても盃は盃です。

 

酒盃の使い勝手として、一般的な要素としては「呑みやすさ」「持ちやすさ」「手重り」「酒映り」「寸法」「注器との取り合わせ」などがあります。

それでは早速、これらについて検討してみましょう。

 

「呑みやすい酒盃」には大前提があります。

それは先ずは「良いやきもの」であることです・・といえば前回(No.72)の繰り返しとなり、たとえバカのひとつ覚えといえども、そこはどうしても外せません。
とはいえ、やきものでもヒトでも「蓼食う虫も好き好き」「恋は盲目」などという謂れもありますので、それが好きでさえあれば、口辺部がザラザラで唇から流血しようが、日々の使用で腱鞘炎となり足に落とせば骨を砕く重量があろうが、置けばダルマのようにヘッドバンキングしようが、酒が漏れて下に敷いた役所に提出する書類が皺になろうが、これらはやきものの良し悪しとは無関係であり、やきもの好きであれば「呑みやすさ」に関してこの程度のことは気にもならないものです。その上で、やはり「良いやきもの」には好き嫌いを越えた普遍性というものがありますので、「個々人の都合による呑みやすさ」などということは「日本国憲法における基本的人権」と同じく、尊重されることは事実上無いと思っています。

 

次に「持ちやすさ」ですが、これは手に取る際、当然ながら平盃と筒形(ぐい呑)とではまず持ち方と持つ手のフォームが異なり、立ちぐい呑でも上開きと腰張り、口辺部が端反りと切立ちとでまた異なります。
手に収まりの良い酒盃は各人の手の大きさや形状によって異なるものの、酒盃程度の大きさであれば「持ちにくい」と感じてもたかが知れたもので、手に取るのが困難な形状の酒盃というものを未だ見たことがありませんので、これはあまり気にすることではないと思います。
但し「良くないやきもの」である酒盃は、手に取ることに抵抗を覚えるので「持ちにくい酒盃」という部類に入るかもしれません。
ですが良い酒盃を前にして「金三千萬円也」といわれれば、手に取ることに抵抗を覚えるので「持ちにくい酒盃」・・・というのは健全な一般の人々の感覚であり、やきもの好きはそれではいけません。

 

「手重り」について大切なことは、それが心地よい重みであることです。重みというのは、実際の計測重量のことではありません。
手重りは重心の位置や形状と材質感によって構成されます。同じ60㎏でも、人間と岩石とでは「手重り」は「持ちやすさ」同様ずいぶん異なります。
やきもののの重さとして、特に重要なのは重心です。どの部分にどのくらいの肉厚があるかによる重心のバランスのことです。正しい重心というものは器種のみならず、造形や素材によって常に存在するものです。
計測できる重量や表面に見える肉厚だけで「重い軽い」や「厚い薄い」を言う方々は、やきもの好きとして“もぐり”です。作り手は決してそういう方々の意見を聞き入れてはいけません。

 

「酒映り」というものは如何なるもののことでしょうか?「酒の色が云々」というなことではありません。
白系の素材と焼き成りは酒の色を確認しやすいものですが、酒の色が見えやすかろうという余計な忖度により、見込にだけ不自然に白釉を掛けた酒盃からは、その作者の酒器への無関心や媚びた厭らしさすら感ずるものです。

酒映りとは、酒盃に酒を張った際に出現する景色のことです。空間支配力も含まれます。

見込と口辺上部の形状とその質感や発色などが先ずは目に入りますが、やはり全体の造形が強く影響します。結局これは「人相」などと同じで、その器の品性が露見するものです。
これが素晴らしいとそれはたいへん嬉しく酒も旨いものですが、病院送りとならぬよう注意が必要です。

 

「寸法」に関しては、後述の注器との取り合わせ時のバランス以外、特に留意することはありません。
各人それぞれにちょうど良い寸法というものはありますが、あまりそこに執着すると選択肢が狭まります。
「丼」で呑んだとしても、それはすでに丼ではなく酒盃です。ですが普遍的に適正と感じられる寸法というものはあり、酒盃にカツ丼を入れれば“ままごと”か“どケチ”に見えるものです。
酒盃としての目安としては、まずは各人が片手で持てる寸法が無難かもしれません。
とはいえ、これもあまりにも小さければ、忙しいのみならず注器を使う間合いも悪くなり、更には案外気が付かない方が多いようですが、酒盃が小さいほうが注ぐ頻度が増えるに伴い酒量が総じて上がるものです。
酒席などで酒盃を選べる場合には、酒量に自信の無い方はできるだけ大きな盃を選んでおくのが無難であり鉄則でもありますが、知らずにその反対を選択し「酷い目」に逢う方は少なくありません。

ただし余談として、古陶磁の酒盃が売買される際にはその寸法が価格に大きく反映され、李朝の盃を例にとれば口径9.5cmのものと12cmのものとでは、やきものとして同質であっても前者の価格が三桁ほど後者を上回る場合もあります。世間一般に好まれる人気サイズというわけですが、その基準は「やきものとしての良さ」ではありません。そこから外れた寸法であれば「買い得」となるかといえば、残念ながら「人気サイズ」が不当に高いだけのことです。尤も現代陶ではそういう心配は一見なさそうですが・・・酒盃と茶碗がひと桁違うならば、なぜ丼も茶碗とひと桁違い、小皿は盃とひと桁違うのでしょうか。私は知りません。

 

最後に「注器との取り合わせ」ですが、これは酒盃の使い勝手として特に重要なものです。

ここではその互いの寸法も要点となります。徳利や片口の横に酒盃を置き合わせたバランスについてです。

徳利は面倒だから、四合瓶や一升瓶から直接、という方は紛れもなく「“もぐり”のや・・・」いや、やめておきましょう。但しこの後をお読みになっても何の役にも立ちません。

 

ぐい呑も徳利あってこそのものであり、徳利と酒盃を組み合わせてこそ初めて「酒器」という概念が成立することは、残念ながら現在では広く認識されていません。
徳利または片口などの注器と酒盃の取り合わせは、その場の空間を大きく支配するものです。

それが「ヘンテコ」だと大いに鬱陶しく、酒も不味くなります。

互いの距離を引き離して置いたとしても、酒を注ぐ毎にそれらは一体となります。
寸法だけを例にとるならば、仮にぐい呑が大きければ、大きな徳利を合わせればよいのです。大きなぐい呑や徳利を見て、「こんな五合は入る徳利で毎日呑んでいれば身体を壊す」などと言うのは実際その通りかもしれませんが、何も常に五合入れて呑む必要などありません。「時速200㎞まで出る自動車なので毎日街中を200㎞で走っていれば車もろとも身体を壊す」のと同じことです。また、四~五合入る大きさの徳利であれば一~二合の徳利とは異なり、満量入れなくとも間の抜けた始まりにならないので大丈夫です。

 

寸法のみならず、この「取り合わせ」には相性というものがあります。それは主観でかまいませんが、現代のネズミ講式茶会のように観念主体による取り合わせではいけません。たとえば「季節感」などの多用は季節を失った者の強迫観念であり、「平茶碗は夏茶碗」だったり「語尾に『べ』が付くものは必ず三つ揃えよ」などとなると、これは精神科医療の専門領域かと思われます。「備前徳利に唐津ぐい呑」などという、商人の都合によるキャッチコピーにも惑わされないことです。元より、近現代以前には備前酒盃と唐津徳利がその逆に比べれば極めて少なかっただけのことで、そういった取り合わせでも合うものもそうでないものもあるに過ぎず、そこに他の何を当て嵌めても同じことです。

 

また、同種同質の徳利と酒盃が「揃い」とは限りません。素材や焼き成りが同じような「揃い」は結構つまらないものです。作者や業者に「酒器揃い」を注文するのは、やきものに全く興味が無い相手に贈る新築祝いくらいで(そもそも、そうまでしてやきものを贈る必要はありませんが)、やきもの好きにとってはかなりのハイリスクで、更には取り合わせの楽しみも何もありません。

 

どういった取り合わせが良いか?については手持ちの酒器にも限りがあり、呑む酒や日々の心身の状態によっても変わりますので定形や法則はありませんが、取り合わせた者の“センス”や“酒器に対する愛着の度合い”は明確に露顕します。繰り返しますが、やきものを楽しむ条件としては、とにかくそれが「良いやきもの」であることなので、それを絶対基準にさえしていれば楽しめる選択肢は確実に広がります。

 

酒盃の使い勝手については実際この程度のことで、「勝手に使うのが使い勝手」で一向に構わないのですが、「ぐい呑をたくさん集めているが徳利は一本も持っていない」という人がいるならば・・・・その人は「他作者のやきものを買ったことのない陶芸家」と同じく、紛れもなく確実に絶対「もぐり」です。
ああ、ついに言ってしまった。