呉器茶盌

作品番号THA0001

作家名通次 廣

共箱

外形寸法12.6w × 8.8h (cm)

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ーごあいさつー

 

ギャラリーラボ初登場となる、京都在住の通次 廣(つうじ ひろし)さんの三種の御本茶碗をご紹介します。

 

 

高麗茶碗には「御本手」と呼ばれる一群があります。

これらは江戸初期の日本より、朝鮮半島南東部(現在の慶尚南道)の幾つかの窯に切り型見本を使うなどして、茶の湯道具として発注され請来した茶碗のことです。

これに該当する茶碗には、御所丸、伊羅保各種、呉器各種、柿の蔕、斗々屋、蕎麦、半使、金海、御本三島、立鶴、狂言袴などいろいろと種類があります。

 

さて、近年になって高麗茶碗を手掛ける作陶家は、老若男女問わず日本のみならず本家であった韓国においても急増しています。この国における高麗茶碗写しは江戸後期に始まり、少し間を置いて昭和期より再興され現在に至るものです)。高麗御本茶碗は江戸後期の京都にて、仁阿弥道八、青木木米、永楽和全などによる出来の良い写しが見られますが、現在は先述のように手掛ける作者は激増したものの、残念ながら「これ!」というものを目にする機会はありませんでした。それが、現代の茶の湯や陶芸界とそれを取り巻く環境の凋落のせいなのかどうかについては存じません。

先日、ふとした機会にとある呉器茶碗に目が留まり、それはどうやら現代製であり、その作者の他の作品のたとえば御所丸、柿の蔕、伊羅保、御本三島、金海堅手なども見るにあたり、そのいずれもが、 高麗御本では巷でよく見かける軽薄な表面取りの写しではなく、確かな観察力とそれを実現させるための技術、そして意志を感じさせるものでした。つまり、同じ高麗茶碗の写しでも「茶碗フィギュア」ではなく「やきものとしての茶碗」となっているわけです。この「あたりまえ」のことに、現代では実際なかなか出会えないのです。

そこで、高麗御本手を作ることの出来る作者を探して久しかった私どもは早速、この未知の作者に作品の購入仕入れの依頼をいたしました。

これまでの通例では、先ずは私的に購入し一定期間使用してみた後に作品の依頼を検討する、ということが原則でしたのでこれは異例のことでした。

幸いにして快諾を得られ、このたび当廊初登場となるその作者が、こちらでご紹介する通次 廣さんです。

 

通次さんは京都で代々続く陶家に生まれ育ちましたが、高麗御本を手掛けることになったのは、あるとき古美術商で釘彫伊羅保に出会ったことによるそうです。業績を残した先代の重圧から逃れるために異種を手掛けるという脆弱な動機、あるいは惰性で稼業を引き継ぐという「よくあるパターン」ではなく、単に感動を源にするという当然にして極めて正しい選択は、いかなる分野においても資質の基礎となるものです。

 

通次さんは酒器も‟時折り”作りますが、ここはやはりまず茶碗でしょう!ということで茶碗のご紹介です。普段、酒器を主ににご興味をお持ちの方々にも、是非手にしていただけることを切望いたしております。これらは「まずは茶碗ありき」のやきものですので、是非ともどうぞご高覧の程御願い申し上げます。

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呉器茶碗の元型は禅院で使用された「御器」と呼ばれる漆器碗で、御本茶碗としての呉器はこの文字を転じたものです。深い碗形に撥高台と呼ばれる高さのある下開きの高台が特徴です。数種に分類される呉器茶碗ですが、なかでも紅葉を思わせる斑紋の現れたものは「紅葉呉器」として珍重されます。こちらでご紹介する茶碗はその紅葉呉器に該当するものですが、通次さんは敢えて「呉器」としており、茶事に使用する際の季節の制約から解放させています。
こういった造形の成否は、僅かなラインや轆轤目の表情などでも極端に左右されますが、こういった「碗なり」の器の茶碗としての成否は、やはり最終的に作者の資質が決定的であるといえます。
こちらでご紹介する通次さんの呉器は、私どもが知る限り、現代の呉器において最良のものと確信するものです。

茶碗の「雰囲気」「品格」といったものは、決して漠然とした印象によるものではなく、実際に手が下された物理的な痕跡の組み合わせによって顕著となるものです。 紅葉呉器とも呼べる紅斑の「出かた」にもご注目下さい。
轆轤の「筋目」にご注目下さい。 特に御本茶碗では、ここがその良否に関わる非常に重要な部分なのです。
焼成時に現れる片身替りに紅斑が点在する景色は古筆裂の料紙を連想させるものです。
「御本」という名が通り名とすらなっている紅斑に、下地が窯変による青と黄の片身替りの景色です。