南蛮焼き〆 ・ 織部 ・ 粉引き作品を制作
池田省吾さんの作品を初めて目にしたのは随分昔で、まだ氏が「織部」を手掛ける以前、唐津市内の陶器店に置かれていた種子島南蛮焼締のぐい呑と湯呑でした。その時に数個ずつもとめたものは今も私用に使っています。
その後の、瀟洒な絵付けが施された織部と粉引を展開しての活躍は、すでに皆様もご存じのことと思いますが、ところで南蛮はどうなっているのだろう?と気になっていたものです。
当廊では昨年10月、池田さんに「蛙ぐい呑」を特にお願いして作っていただき、この「やきもの通信」でご紹介いたしました。東京炎色野さんのお世話で実現した企画です。
今年に入って炎色野さんから、「池田省吾が南蛮モードに入っているので、背中を押して(「尻を蹴飛ばす」・・・だったかもしれません・・)5月頃に南蛮でやる。」(この8月に実現しました)との情報を頂きましたので実に楽しみにしていたのですが、この度このように厚かましくも便乗させていただく次第と相成りました。
どうぞご覧下されば幸甚です。
近代や現代製の「斑唐津」が本当に斑唐津である実例は、ほとんど見かけることが出来ません。
そのほとんどは幕末以降の「わら白釉」の仲間で、けっして斑唐津ではありません。ここでその詳細説明は割愛しますが、横に並べて較べてもらえばすぐにわかります。(余談ですが「志野」も近現代のものはただの「長石釉」であり、「元」とは異質のものです。) いずれも原料が違うことを放置し、見る側もそれで良しとしてきた結果であると思われます。
もっとも、やきものはそれが面白く魅力があれば、見て使うにはそれでよいので、オリジナルを求めるのならばそれを買えば済むことなのですが、現代製が「その名を名乗る」のであればもう少し何とかしてほしいわ、というストレスは常にあるのです。
つい先日、ひょんなことから「現代製なのに斑唐津」を見つけたのですが、思いあたる該当作者がいなかったので、まずはとにかく買ってみました。(作者不明で、やきもの店でもなかったのですが、「中堅さん」並みの値段してました・・)
その後調べてみると、その作者は山形在住の、本格的な制作を開始して間もない若者で、高橋陽なる人物であることが判明しました。未だやきもの店で作品を発表していない、とのことでした。
高橋陽さんは1989年山形市に生まれ、山形大学農学部を卒業。 酒を愛し醸造を志すも、県内の醸造元に欠員がなかったことから山梨のワイナリーに勤務。
「酒を呑むのであれば気の利いた酒器をひとつ持たねば」、とのごくまっとうな動機からまずは酒盃を探すが、「焼き」はともかくとして、なかなか気に入った「大きさ」のものに出合わない、というこれまたいきなり正しい壁にあたります。 そこで高橋氏は、「品質はともかく、サイズだけなら自分でもなんとかなるかも知れない」と作陶に踏み切りました。全くの独学で、最初は「七輪」で焼いていたそうです。
手を着けてみれば、「難儀であるが面白い」ということで勤めをやめ、山形でやきものに専念することにしたそうです。やはり、実にまっとうな動機と行動です。
先述しましたように高橋陽氏はやきもの制作を始めて日は浅いのですが、やきものには(音楽などもそうですが)できる人は最初から出来、そうでない者にはまずどうにもならない「要所」というものがあります。
本当に肝要な部分は、長くやっているから出来るというわけではありません。
とにかく、それを見たとき何か知れないけれども「おっ、現代の斑や!」という経験は初めてでした。
氏は他に、最も深く思い入れる青瓷、李朝の各種に着手していますが、話を聞いていると実に的を射た部分に照準を定めているうえ、経験の短さに反してよくやきものを知っていて、考証や仮説にも腰が据わっているので、とても頼もしく感じます。
成形に関しては今後改善のききやすい、これからの「伸びしろ」を見て取れるものです。
他にもいろいろ試作中のものがあり、楽しみです。
というわけで、多くの皆様が初見であろう高橋 陽の作品、まずは斑唐津と青瓷の酒器をご紹介いたします。
是非、ご覧下さい。