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このコーナー「やきものの常識は疑え!」は、やきものギャラリーおよび美術館の企画、または関連書籍や陶芸作家の言動や作品、あるいは、現代社会において楽しく充実した生活を送るすべを心得ておられ、現在この国は民主主義であると何の疑念も抱かずに受容されている方にとって、必要なことは何一つ書かれていません。閲覧により不快感、吐き気、嘔吐、食欲不振、めまい、ご家族への八つ当たり等の症状があらわれた場合、ただちに閲覧を中止し、当方ではなく医師・薬剤師・唎き酒師・祈禱師などにご相談下さい。乳幼児、小児にこれを読んで聞かせる場合はご家庭の教育方針への抵触にご注意下さい。また、本稿を閲覧しながらの自動車及び機械類の運転操作はしない下さい。

76. やきものの酒器で酒を呑むということ

 

やきものの「ぐいのみ」や「盃」の真価は、酒の味の邪魔をするところです。

 

酒の味と香りを最も邪魔な干渉をしない器は、薄手で小型の直立形で装飾の無いガラス製カップです。

但し、ガラス製といってもワイングラスなどは、日本の酒にはその長足の造形や寸法も手取りと間合いといった大切な要素に差し障るので、無駄に発泡させたり香りが強い近年流行りの「お子様向け」の酒以外には向きません。

 

酒を正確に感受するには、先述した形状のガラスカップでひたすら何も食べずに呑むのが、唯一無二といえる最良の方法です。

ならば、やきものの酒器で酒を呑むということは一体何がそれほどに面白いのでしょうか?

今回はその話です。

 

 

食が「文化」となるにはいくつかの要因があり、料理(よく出来た言葉だと思います)して器に盛る、という行為がまずはその基本です。食材に人が意図して手を加え、そこから抽出し再編成したものを味わうのが「食文化」というわけです。

「料理を楽しむという文化」は、食材そのものの良さを如何に引き出すかといえども、食材を手掴みでそのまま齧ったりするわけではありません。生命を維持するための摂食だけであれば、料理の必要もなくまた人間特有のものでもありません。最も新鮮な魚を食すことができるのはそれを捕食する魚たちですが、彼らは鮮度に付加価値を置いているわけではありません。

 

もうひとつ音楽の例をあげれば、一般に耳にする楽器の音色は一般家庭の室内でも、緻密に音響設計されたコンサートホールでも常に残響音というものを伴いますが、後の処理作業のためその残響音を吸収するように設計されたレコーディングスタジオで聴く楽器の「直」の音は、普段聞き慣れない人にとっては違和感を覚えるものです。
商品化されて一般に流通する楽曲は「ミキシング」という作業を経て録音されたもので、楽器の生音に音響処理を加えバランス調整された音源です。それぞれの出音がそれぞれの楽器からいちどミキシングコンソールというものに入力された後、編集作業を加えたものを録音媒体に記録し、通常2chにステレオ出力した音源を「音楽」として耳にするわけです。
楽曲の印象は、このミキシング作業によって大きく異なります。既に大売れした楽曲を、この作業をやり替えて再発売されるものをリミックスバージョンといいますが、音質の改善を目的としたものからまるで別モノに仕立てたものまでいろいろあります。

 

 

上記の二例は、“酒と酒器との関係” にたいへん良く似ていることがわかります。

酒器と酒の関わりを以下順に、

 

酒器を前にすると、まずそれらが眼に映ります。
次に、それを手に取ります。
酒器の形状により持ち方が変わります。
注器と酒盃の触感と手重りを感知します。
そして注器から酒盃に酒を注ぎます。
双方を左右の手に取る場合、注器と酒盃との重さのバランスが変わります。注器が軽くなり酒盃が重くなるわけですが、更にその後注器を卓上に戻すと酒盃のみが手に残ります。
酒が冷えている場合は酒盃も手に取った時より冷たくなり、熱燗であれば熱くなります。
酒盃を口元まで運びますがその途中、酒の入った酒盃つまり景色が眼に入ります。

またその際、平盃と筒盃とでは手の運びの所作が異なります。
酒を口にするより先に酒の香りを感知します。
酒盃の口辺部がまず唇、次に舌に触れます(猫を除く)。

以上が「入力」です。

 

そして次には、

味覚を感知します。(※注 その際に「酒盃の口造りの形状によって舌に落ちる位置が異なるので、酒の味が異なる」という説もありますが、これはまったく机上の空論であり、実際には酒が舌に落ちる位置など酒盃と唇の動きによりどのようにでもなり、これも意識しない場合は毎回異なり、さらに酒が舌上に着地してから味覚を感知するまでには時間差があり、その時点で酒はすでに舌上全てに行き渡っているので、今回の話の一部を切り取ったものとしてもやはり正しくありません)。
その後「残り香」というものが重なります。

以上が「出力」です。

 

先述の例に添えば、酒を呑む→入力と、味を感ずる→出力、そしてその媒体が酒器です。

呑む者自身が、二例目におけるミキシングコンソールとなり、上記の各要素がミックスされ編集されて出力されるものが「酒の味」となるわけです。酒が同じで酒器を換えれば、即ちリミックスとなります。

 

要約すれば、酒器に触れ、手に取り、酒を注ぐ音を聞き、香りを感知したものと、舌による味覚とが合わさった総体が脳に知覚されたものこそが「酒の味」の正体です。
これまで何度も述べていることではありますが、このように酒盃によって酒の味が変化するのは、「気のせい」でなければ超常現象でもでもなく、実際の酒器を含めた環境での五感による知覚と分泌物質によるものです。
やや話が逸れますが、普段呑んで旨い酒と酒器の組み合わせでも変に不味い場合(特有の苦味が出ます)は特に自覚症状がなくとも先ずは体調不良を疑うことです。酒や酒器が悪い場合の不味さとは明らかに異なります。酒器と酒の組み合わせに幾つかの定番を設けておけば、国家の都合による被雇用者の強制健康診断などより遥かに健康管理の役に立ちますよ。

 

話を戻します。

料理と酒との関係は、「互いに引き立て合う」のではなく「相殺される」ことによってその相性の良否が決まります。

酸味に傾いた酒であれば、料理の酸味によりそれが相殺されほど良いバランスとなった場合に「料理が酒を引き立てる」と感じるわけで、その逆もまた然りです。

先に述べたように、酒そのものを正確に味わうのであれば何も食べないのが最良の方法ですが、冒頭の酒と薄手の直立グラスとの関係と同様に、干渉の有無による違いですので、その選択は各自の好みに委ねればよいことです。

同様に、媒体となる酒器は上記のようにその特性により酒の味に大きく干渉するわけですが、やきものの酒器で酒を呑むということは、その際に生まれる独特のバランスや歪みこそが最大の醍醐味といえるわけです。

 

繰り返しますが、やきものの酒器の究極の楽しさは酒の味を邪魔すること、言い換えれば再編するということです。

思い入れの強い酒器であるほど、酒器の方に意識が傾倒しノルアドレナリンの分泌量なども増えるのでその度合いがより強くなります。

グラスは酒を旨くも不味くもせず直に伝えますが、やきものであれば必ず何らかの干渉があります。

時折り、やきもの酒器と上記形状のグラスとで交互に呑み比べてみるのも一興です。

やきものの場合、酒があきらかに不味くなる酒器も少なくはありませんが、それもまた一興なのですよ。

 

「良い酒器で呑むと酒の味も良くなる」のでは決してなく、酒の味が良くなるのが良い酒器ということです。

 

次回は「酒器好きであれば徳利の良さを知らないまま死んではいけません」という話です。

乞うご期待!!