【閲覧上のご注意!】※閲覧前に必ずお読みください。
このコーナー「やきものの常識は疑え!」は、やきものギャラリーおよび美術館の企画、または関連書籍や陶芸作家の言動や作品、あるいは、現代社会において楽しく充実した生活を送るすべを心得ておられ、現在この国は民主主義であると何の疑念も抱かずに受容されている方にとって、必要なことは何一つ書かれていません。閲覧により不快感、吐き気、嘔吐、食欲不振、めまい、ご家族への八つ当たり等の症状があらわれた場合、ただちに閲覧を中止し、当方ではなく医師・薬剤師・唎き酒師・祈禱師などにご相談下さい。乳幼児、小児にこれを読んで聞かせる場合はご家庭の教育方針への抵触にご注意下さい。また、本稿を閲覧しながらの自動車及び機械類の運転操作はしない下さい。

78. 箱書きについて

 

 

やきものを買うと、桐や杉などの箱に納められていることが少なくありません。

現代製のものでは通常、その作者が墨で作品名と署名を書き付け落款を押印した「箱書き」がされています。

 

箱書きは本来、作者のしたためるものではありません。

やきものが”付加価値込みの商品”となる歴史は今を遡りますが、近代になって昭和以降、作者本人の書き付けは「共箱」、それ以外の誰かによって書かれたものは「識箱」と呼び区別されていて、同じ作者の同レベルの作品であれば「共箱」のほうが再販時の取引価格がずいぶん上昇します。

菓子折りなども中身以上にパッケージデザインに重きが置かれますが、それと同様「作者共箱」は「共布」「栞」など併せて、昭和以降この業種における商品販売戦略としてパッケージデザインに付加価値を持たせることに成功し根付かせたものです。茶道財団法人における「宗匠の書き付け」や、古美術業界での著書などがあり少々名の知れた業者などによる書付けも同様です。

「この国は地震が多いので木箱は要るが、箱書きは汚いだけだから要らん!」と購入者が申し出るという例はあまり耳にしません。

 

念のため、本稿は箱書きというものの存在の是非や弊害を述べたり、更には人々がなぜ箱書きに価値を見出すのであろうか?となどいう宗教的問題を解明しようと試みるものではありません。

 

 

そもそも箱書きはいつから何のために始まったものなのでしょうか。

やきものの発生とされる縄文時代にはありません。「箱が無かったから」という理由ではなさそうです。

その後も永らくそのようなものは存在しませんでしたが、近世初頭のいわゆる「安土桃山時代」頃になって商人が茶の湯の宗匠を始めた頃が、どうやらその慣習の始まりです。

道具の所持者や茶道具を仲介する商人が然るべき権威者やその師匠筋に書付けを依頼し、それが売買の際の付加価値ならびに品質保証書である折紙(おりかみ)として機能したわけです。

 

先述のように箱書きは菓子折り同様、商品販売戦略の一種として「パッケージへのひと工夫」により中身への価値を付加させたものですが、その萌芽は武将たちが領土の限られたこの国において茶道具に多大な付加価値を持たせることに成功し、それを戦果の褒賞として領土に代えて堂々とまかり通らせたあたりから、といえます。付加価値感と宗教心とは、”出どころ”が同じ双子のように感じられます。

 

このように「箱書き」は本来目的から、その所持者の師匠筋や尊敬する先達などの「目上の人」に依頼してしたためられるべきものでしたが、それがいつから「目下の河原モノ」である作者に平然と書かせ、ましてやそれを有難たがるような慣習となったのでしょうか。当時もし「共箱」で納めたならば、作者もその商人も共に命は無かったことでしょう。

 

現在では作者の箱書きという存在に違和感を覚える人は極めて少ないようです。

こういった事態は、作者が「先生」などと魑魅魍魎に呼ばれるようになってからのことであることは確かなのですが、これも“戦後”のニセ民主主義により、「平等」などという有り得ない妄想が蔓延った結果、現在に至る数多い弊害のひとつなのでしょうか。

既に何度も述べていることですが、業者がやきもの作者に対し無条件に「先生」などと呼ぶのは卑屈でたいへん見苦しいことで、そう呼ばれて何の違和感も覚えない作者はただのバカです。
やきものであろうが絵画であろうが、その作者は原則として「先生」ではありません。
仮に「それらの作者はあなたにとってどこがどのように『先生』なのか?」と問われ、筋の通る答えを作者別に即答できるならば「先生」でも何ら問題ありませんが(「著名人である」というのは理由になりません)、経験上そういう業者はあまり見たことがなく、単に思考をバイパスした習慣によるものと思われます。あるいはその作者が陶芸教室や芸大などで教えなどしているならば、確かに職業が「作者」ではなく「先生」ですが、それもあくまでその生徒にとってのことです。

また「先生」などと平気で口にする業者やお客さん達にかぎって、若手や駆け出しの作者に対しては「~くん」呼ばわりなので、当然その人格と品性を疑われても仕方がありません。

作者名は単なるメーカー商標なので、本来「呼び捨て」でまったく構わないのですが、とにかく「~くん」はいけません。作品を語る場合には呼び捨て、本人との対面や公称の場合「~さん」が適切でしょう。

 

 

話が逸脱してすみませんでした・・。

さて作者箱書きもこういったことも、すでにこれらは慣習化されて久しく仕方のないことだとして、次の問題は、作者が箱のどの箇所に書き付けるのが適切か?というものです。

 

これは、消去法で割り出すとわかりやすく、まず“蓋裏”は先述の「所持者の師匠筋や尊敬する先達など目上の人」が書き付ける箇所であり、作者は所持者に「あんたが先生!」などと呼ばれそれを真に受けでもしない限り、書いてはダメな箇所です。

特に強く依頼され断り切れない、などの理由もなくその部分に平然と書き付ける作者は、その人格と品性を疑われても仕方がありません。蓋裏に作者が書付けているのは見ているほうも恥ずかしくなるもので、まずは除外すべき箇所です。

 

次は蓋表ですが、蓋が側面にある差し込み蓋以外、箱の上に蓋を被せるものが大半です。

その場合、中に納まる道具本体の「上」に箱書きが来るわけです(蓋裏も同様です)。

所持者は通常、その道具に用があり作者はあくまで作者にすぎません。

ですからこれも、側面に高さのない平皿などを除いて、作者が避けたほうが無難な箇所です。

ですが、ここに書き付ける作者は実に多いものです。

蓋裏よりは遥かにマシといえども、止むを得ずそこに書き付ける場合には決して紐に掛からないよう右上、右下、左下と順に書き付けることです。紐を無視して書く作者は、その品性を疑われても仕方がありません。蓋表に自由に書き付けたり絵を描いたりする必要のある場合には、紐無しの箱にすればよいことです。

 

残る箇所は、側面と底、内側面と底となりました。

後者は蓋裏よりはマシなものの、謙譲というより卑屈さを帯びてくるのと、包み布を汚す可能性があるので奨められず、となれば残りは表側面とその底部ということになります。

個人的にはそのどちらでも良いとは思いますが、先述の「外需」により作者が書くという前提では、やはり底より側面が適切でしょう。

 

というわけで、残る側面が最適ということになりましたが、側面も四ヶ所あります。

“まっとうな作者”であれば「正面」は避けたいところでしょうが、これも上記に同じく「外需」という理由で向こう正面や左右面より「正面」で構わないと思います。

主な理由は、通常では箱正面に対して紐が掛かっていますので、箱書きに従って上蓋を付けそれに合わせて紐を掛けることに慣れている所持者の面倒を省くためです。

その場合にも、縦に走る紐に文字が掛からないようにすることは肝要です。

(周知の余談として、蓋をする場合には箱身との「木口(こぐち)」を合わせます。組箱の場合、箱身に臍が上下に二か所あるほうが正面です)。

 

とはいえども「箱書き」には、国家が国民の機嫌取りに怠惰を推奨した結果、物心ともに明確な貧乏国に成り下がってゆきながら、尚更に労働規制を強要するなどといった全く手の付けようもない愚劣さとは異なり、実にのんびりと牧歌的な「規範」であり「規制」は古来存在せず、従わなければイヌどもがやって来て噛みつかれるなどということもありませんので、結局は各自の美意識に従えばよいと思います。

 

「箱書きは本来作者がするものではない」といえども、「選挙権は本来、年齢以外の無条件で与えるものではない」などと、少数者が正論を述べたところでどうにもならないのと同じく、作者が共箱を要求されることはこれからも続くのでしょう。

また、現在では作者が自らそのように主張し拒否したとしても、単なる怠慢だと見做されるだけのことでしょうから、黙って箱側面前にしたためるのが賢明な作者のとるべき手段でしょう。

冒頭で触れたように、お客様方が「箱に箱書きなんぞはいらん!」と言って下さることが最良のことではありますが・・。因みに桐や杉などの木箱(「桐の実態は木でなく草なのである」ということはさて置き)はこの地震国においては有効で、木箱に入っていたものが助かる確率はかなり上がることは実体験済みですが、陶器であれば使用すると一週間は乾かず、乾く前に箱に収納するとカビの原因となるので、特に気に入って普段使うものが犠牲になる確率は上がってしまいます・・・・が、元より地殻変動がなければやきものの素材もやきものも地上に一切存在しないものなので仕方ないと諦めることです。

 

私事ですが、近現代製の陶磁器を私物として買った際に付いて来る共箱は、手元にある古陶磁で箱の傷んだり無かったりするものとの寸法が合えば、「箱書き」を消して転用しています。

市販の320番のサンドペーパーで3分もあれば簡単に消せるので、皆様もどうぞお試しになって下さい。