作家のところに画廊から企画展の依頼がきます。後に企画書を送る、とのことです。作家は、さてどんな企画だろうかと考えて待ちます。数日後、送られてくる「企画書」の内容は、たいてい次の内容です。
「会期と画廊の取り分」。
作家はまじまじとそれを眺め、他に書かれていることを探しますが、あっても「時候のあいさつ」くらいで、冒頭には確かに「企画書」と書かれています。
そこで作家は画廊に電話をかけ、企画書らしきものは来たが、会期と掛け率しか見あたらない。送り忘れはないかと尋ねます。すると電話の向こうで画廊が「?」と言います。そこで作家は「ところで私に何をやれと?」と問うと画廊が「個展」と答え、作家は「具体的には?」と聞き、そこで電話が「今やっていることを何でも自由にやれ」と言います。作家が「それは企画展ではない」と答えると、数日後送られてくる「企画書」には、「茶碗10点、酒器30点、花入水指など15ほど、他食器類も。合計80点ほど」と書き加えられています。作家は再びまじまじと眺めてみるのですが「時候のあいさつ」が消えているくらいで後は何も変わっていません。
結論をいえば、これは企画書ではありません。したがって画廊が送ってきたのは「企画展のご依頼」ではなく「委託販売のご案内」なのです。どこか他に、これが企画書で通る業界はあるのでしょうか。しかし、これはまだマシな例で「企画書」も来ず、「電話一本」「Fax一枚」はザラです。たぶんそれでも話にのる作家が、たくさん実在するのでしょう。
それでは、どういったものが本当の企画なのでしょうか。
作家が企画書にダメ出しを続けてもまず無駄です。良い企画展を行うための最良かつ簡潔な方法があります。
普段の付き合い。これがその方法です。
このなかから種々様々な企画案が生まれて来ます。それらは生きた企画です。後は画廊がそれをまとめ、作家と形にすればよいだけです。
この過程の有無で展示内容の質は大きく異なり、見る側はすぐにその差を感じ取ることができます。
他業種のかたからすれば「何だそんなことか」と思われるかも知れません。しかし長年この業界に身を置くベテラン作家でも、画廊とそのような関係を築けている者は、ほんのわずかしかいないのです。
ではその具体的な内容はどのようなものなのでしょうか。
まず、画廊は買い取り仕入れを行うことです。委託は企画展時以外は余程の信頼関係を築いてでもいない限りは、原則ダメです。
買い取りはリスクですが、画廊がリスク覚悟で欲しいと思う作品以外は、客に紹介してはいけません。また、作者もそれ以外出してはいけません。
委託品だけでまわそうとする画廊は「インチキ画廊」と言っても構いませんが、それと組んで自信のない作品で収入を得ようとする作者も「インチキ作家」といいます。
買い取り仕入れの作品を常設して初めて、店・客・作者の真剣勝負が可能となるのです。(ただしこれも、「企画展の残りもの」ばかりではダメです。)
買い取りの資金が無いと言う画廊がいますが、これは作者が窯はあっても陶土が無い、と言っているのと同じことです。理由になりません。そうでない場合は単に「やる気がない」だけのことです。
次には、普段こまめに連絡を取ることによって制作状況の流れが確認・取材でき互いにアイディアを交換できます。この時、
先述の買い取り仕入れが活きてくるのです。
大手スーパーは大量仕入することで、メーカーにものを言えるのです。
画廊と作家は、もとより対等の立場ですので、互いにダメ出しが出来ないようでは、企画もへったくれもありません。こうやってできる「背景知」が、顧客に企画の厚みを感じさせ、企画展の成功率を上げるのです。
これをやろうとしない画廊は、その作者に興味が無いわけですから、企画展など当然考えてはいけません。これと先の仕入れとを両方やらない画廊の仕事は、「詐欺行為」と言って差し障りありません。
やきもの関係メディアや美術館学芸員についても「やきものについての知識はあっても興味は無い」者が大多数を占めるのが現実です。「自腹」でやきものを買っている者など、ほとんどいません。作者にいたっては、やきものは作るが興味も知識もない!者が、やはり大勢いるのです。相撲取りや将棋指しにこれが考えられるでしょうか。
このあたりが、「涙無くしては語れない」現代のやきもの業界の実態です。例外は存在しますが、ごく僅かです。
ただ近年になり、この業界も例にもれず「格差の広がり」が顕著になり、ここであげたような正体の不確かな業者は淘汰され、次々と姿を消してゆき、作者達もまた、同じ命運を辿っています。当然のことでしょう。このように市場全体は大幅に縮小し「関係者」も激減しましたが、ここで見逃してはならないことがあります。
語弊を承知で次の表現を使えば、「本当の愛好者」は徐々にその数を増やしてきている、ということです。その年齢も約六十年ぶりに、若返りを果たしつつあります。
このあたりは酒の業界と似ています。つまり、店や作品の質が厳格に問われ、全体数は大幅に減るも、主客共に「本当に良い」ものは残り、それらはむしろ増幅する、という傾向が出ているということです。
世の景気が良ければ、「これでも買っとくか族」や「こんなものでよかろう作者」、それでも潤う業者達が横行します。景気が良いということは、品質が平均して下落するということです。
なので近年はこの業界にとって、本当に「新しき良き時代」なのです。あとは「もう少しだけ」やきものに興味を持つ者が増えてくれれば、と思います。激増を望んではいけません。流行は長く見れば、たいへん良くない現象なのです。
そのために業界は、ここで述べた程度のことはまず実行してゆく必要があります。これらは「きれいごと」では全くありません。また、「底辺の拡大」に期待するのは、明らかな間違いです。
もとより「底辺」など存在しないのです。