「型にはまったものでは面白くない」という人がけっこういます。
見るだけの側は、べつにそれでかまいません。
やっかいなのは、「提供する側」にそういう者がうじゃうじゃいることです。
なぜ「やっかい」であるかといえば、作者のその手の発言は「型」が全然できていない者の定番だからです。
「古人のまねなどしない」というのもよく耳にしますが、たいていは「出来ない」だけのようです。
「新しいもの」とは常に、それ以前のものごとの集大成以外の何ものでもありません。
「知らない」や「出来ない」でもべつにかまいませんが、そういう者が無理をしたならば決してそれは「新しいもの」ではなく、「今までにはなかった酷いもの」になるだけのことです。
他人のやっていないことをやりたがることも同じく、新しいことや独創的なことではありません。他人を基準にしている限り、どこまで行っても人まね以下のことです。
有益な独創はいつの世も、「人まねの基盤」の徹底から「成り行き」で生まれたものです。
現代の「陶芸村」では老害きわまりない「ぬし」達が、実に無責任な言動で次世代をスポイルし続けているのが現状です。される方が悪いのですが。
語弊を承知で述べれば、現在これを防ぐ最善策は、やきものを志す者はそれが作者の場合、「陶芸村(陶芸界とも呼ばれています)」に一切関わらないこと、見る側の場合はまず作者とはできるだけ直接関わらないことと、陶芸村主宰のアジテートに引っ掛からないことです。
作者と密に関わっていたり、メディアの情報を真に受けている買い手は、たいがいの場合目が濁ります。
そして、陶芸村の論説のほとんどは「首から上」の机上の空論で内容のないものです。熱心な買い手である皆様の眼の方がはるかに核心をついていて正確ですので、そんなものには取り合わないことをお勧めします。
作者であれば、まずは「人真似などはしない」などという、聞いている方が恥ずかしくなるようなたわ言は、まずは徹底的に型にはまった上で垂れることです。
また、見る側の方はあまりにも純朴な作者に、やれ個性だ独創性だと言わないようにしてあげて下さい。ほとんどの者は勘違いした結果、ダメになっています。
必然性というものが、昔にくらべ大幅に本人に委ねられている現代の作者を、決して買いかぶらないようにお願いします。少し甘やかすと驚くほど簡単に、品格のみならず技能そのものまで劣下する者が多く、そこで「産直ご用達」の信者さんが、「最近の作風の変化はちょっとすご過ぎて一般人にはついて行けないだろう」と火に油を注ぎ、いよいよ終わらせるわけです。(もちろん、双方に「終わった」と解らないように、村で担ぎ上げるが慣例です)気の毒なことですが、今となれば軌道修正の難しい話です。
そんなことを続けていると近い将来、この界隈は「ぞんび」か「サルの惑星」になります。
絶対になります。
もうなっているかもしれません。