やきもののコレクターと呼ばれている人達と話していると、「自分は現代陶芸しか買わず、古陶磁には手を出さない」と言う人が多いことに驚かされます。
その理由を尋ねると「古陶磁は真贋がよくわからないので騙されるのが恐い」というのが答えの定番です。
彼らの多くは「近現代陶芸巨匠」と呼ばれている作者のものを数多く所持し「巨匠の作品を然るべき店で買うと間違いがない」と言います。
さて、コレクターの皆様。「近現代巨匠」という設定は、どこのどなたによる設定であるのでしょうか?
時間の淘汰を経た普遍性を出して来るには、あまりにもその時も世代数も不充分です。遠回しに言うのはやめて端的にいえば、「特定の誰か」が既得権益を守るために設定の更新を定期的に続けているもの、つまり「近現代巨匠」という設定そのものが人為的にデッチあげられた贋物であるかも知れません。「その作者の真作であることが間違いない」以前の話です。
これを、「ホンものであってもニセもの」といいます。
確かに近現代巨匠さん達は、自らの仕事に対する愛情や腰の据わった覚悟といったものは、それ以降の「その他大勢」に比べれば何枚も上です。ただしこれは、本来それを礎に発展させてゆく責務のある次世代の「その他大勢」が、あまりにもふがい無くだらし無いからという相対的な評価にすぎません。
ものごとを観るときはそれが何であれ、歴史全体の座標の中でそれがどのあたりに位置するか、ということが判断基準となります。
個人の都合や好き嫌いなどは、そのあとの話です。
したがって歴史(ここでは古代から近世までの陶磁、通常古陶磁と呼ぶ)を知らない者の判断は、単なる初歩的な好き嫌いであるということです。これは古陶磁の擁護などではありません。
本当は、現代のやきものの方が良いというのが望むべきことなのですから。近現代巨匠さん達の作品は決して悪くはないのですか、歴史全体の中でいえば、恐ろしく過大評価されていると言わざるを得ません。
少なくともそれが経済行為(売買のことです)に関する限り、例外はあまり見られません。その理由は、先ほど述べた特定のどなたかの既得権益の死守である可能性は高いようです(控えめに述べています)。
世の中で「何だかおかしいなあ」と感ずる出来事の、あらかたの原因はこれなのでしょう。
余分な情報に左右されることにより、「騙される」確率は格段にはね上がります。
ちなみに「真贋」も「近現代巨匠」も、余分な情報です。