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このコーナー「やきものの常識は疑え!」は、やきものギャラリーおよび美術館の企画、または関連書籍や陶芸作家の言動や作品、あるいは、現代社会において楽しく充実した生活を送るすべを心得ておられ、現在この国は民主主義であると何の疑念も抱かずに受容されている方にとって、必要なことは何一つ書かれていません。閲覧により不快感、吐き気、嘔吐、食欲不振、めまい、ご家族への八つ当たり等の症状があらわれた場合、ただちに閲覧を中止し、当方ではなく医師・薬剤師・唎き酒師・祈禱師などにご相談下さい。乳幼児、小児にこれを読んで聞かせる場合はご家庭の教育方針への抵触にご注意下さい。また、本稿を閲覧しながらの自動車及び機械類の運転操作はしない下さい。

16. さくいはくさい?の話

 

「この作者の近作には桃山の気風が現れ始めた。しかしそれは単なる桃山の再現には留まらず~以下云々・・・。」

 

相も変わらず「陶芸界」のメディアや評論には、この手の文章が横行するのです。残念なことだと思います。

 

では彼らはその「単なる桃山の再現」を、実際にこの世のどこかでひとつでも見たことがあるのでしょうか。

彼らはいつも、似て(すらもなく)非なるものを「再現」と呼んだ上で、冒頭のような発言を繰り返して平然としている、ということは「単なる節穴」なのではないでしょうか。

 

「単なる再現」すらできない者は「その次」に行くことは絶対に出来ません。留まるもへったくれも無いのです。

初歩の必須行程である「単なる再現」を、彼らは実に無責任に阻害し続けます。(もちろんされる方が悪いのですが。)

いずれにせよ、冒頭のような視点は全く何の意味も成さないのです。

 

歴代のやきものには、良いやきものとそれ以外のやきものとの二種類しかありません。

その他の区分はすべて不要なものです。

「土を自ら採取している」だけで誉められ、人間が人間であるが為の行為である「作為」や、必要不可欠ないち通過点である「単なる再現」を咎められ、「独創」と称した、どう見ても無理のある出来損ないを連発してはまた誉められ、その後、放置され腐ってゆく気の毒な作者は、「素直な良い子」なのではなく「単なるアホ」です。

 

悪いことは言いません。現世の残念なメディアや、アホな評論家の言うことを気にするヒマがあるなら、ひたすら「現物」から学ぶことです。

歴代の現物においては幸いなことに、この国はとても豊富な「師」に恵まれているのです。

 

「他人の作品をみると、それに影響されて自分らしさが無くなる」と言う者は、もとよりその程度の「自分」なのであるから、諦めて転職でも考えた方がよいと思います。その発想でも通用する職種が他にあれば、ですが。

また、こういった者に限って常に他人の評価を気にし、それに影響されまくっているので、前述のような輩に影響されるのです。

 

本当のオリジナリティーは、当の本人が自己認識できるものではありません。

たとえこれを他人から指摘されても、それは他者の認識なのです。

「オリジナリティー」は「個性」と違って、相対化された時初めて成立するものです。

更にはそれが「あるがまま」では、そのほとんどは実に不具合でまた、たいへん悪い意味での無責任な垂れ流しとなります。

 

人間の営みは即ち作為です。

「無我の境地」は究極の作為でしょう。

 

良質の作為こそが人間の価値である、と心底思います。