美術商でものを買う際、とても気になることがあります。
その現物が掲載されている出版物を見せて「それ、ここに載っています」と言われることです。
この発言は購入前と購入後とでは、ずいぶん事情が異なってきます。
こちらが購入を決める前に言う場合、それは大きな問題です。
その場合、この行為はとてつもなく下品かつ恥知らず、さらには無礼者の所業となるのですが、まったくそれに気づかないのか知っていてわざとなのか、多くの方々が割合に平然とやってくれます。
この現象にはたちまち三つの問題があります。
まず、本に載っていることを値段が高い理由にすることです。
次に、本に載っているものを所有することを根拠なく自慢する者は確かに存在するのでしょうが、相手かまわずそれらと同類と決めてかかることです。
そして、他人の褌で相撲を取ろうとしていることです。
これらは相互に関連していて、本に載っているものであれば良いものだと信じて疑わず(決してそんなことはありません)、適正相場よりずいぶん高値をふっかけられても喜んで買う者が少なからずいるので、売る側がそれを利用する・・・ならまだマシですが、売る側も本気でそう思っていることが多々あります。芸能人に会った、テレビに出たといって喜んでいるのと同じことです。
おかげで、こちらがそんなことは知ったことではなかろうがどうしようが、値は適正価格に設定されることはないのです。
その上さらに何の疑いもなく、こちらをそんな者どもと同類と見做してくるわけです。
「おさむらいさん」であれば「この無礼者めが!」といって相手を叩き斬るところです。
そして、ここからが最大の問題なのですが、美術商たるものは、己みずからの眼を資産とする信用商売なのです。買う側は、モノと同時にその人も買っているのです。
双方同時に、本来保障など有るはずのないものを、自らの眼と腹をかけて売買しているわけです。互いの眼を尊重した上での取引です。
そういう所載ものを有難がる客と、そうでない客との見分けが出来ないということは、モノを見分ける眼も無いということです。
そのものが本に載っているということは、本を作る者の都合と諸事情にすぎません。また、「著名なしかるべき本」にも「いけないもの」が載っていたりもします。
出版物を信用の楯にしようとする行為は「せんせいにいいつけるぞ」のクソガキと同等です。このような輩に選挙権など与えるから、議会制民主主義はいつしか隠蔽性全体主義に成り果てるのです。
「おさむらいさん」であれば「恥を知れ、この腰抜けめが!」といって叩き斬るところです。
買おうとする客にそれが所載ものであることを話すのは、売買が成約した後でなければなりません。
そうしてくれさえすれば、そのような話題も周辺余談として楽しく拝聴することができるのです。少々高かろうと、相手も同じ目に逢いながら高値で仕入れているのでしょうから。