【閲覧上のご注意!】※閲覧前に必ずお読みください。
このコーナー「やきものの常識は疑え!」は、やきものギャラリーおよび美術館の企画、または関連書籍や陶芸作家の言動や作品、あるいは、現代社会において楽しく充実した生活を送るすべを心得ておられ、現在この国は民主主義であると何の疑念も抱かずに受容されている方にとって、必要なことは何一つ書かれていません。閲覧により不快感、吐き気、嘔吐、食欲不振、めまい、ご家族への八つ当たり等の症状があらわれた場合、ただちに閲覧を中止し、当方ではなく医師・薬剤師・唎き酒師・祈禱師などにご相談下さい。乳幼児、小児にこれを読んで聞かせる場合はご家庭の教育方針への抵触にご注意下さい。また、本稿を閲覧しながらの自動車及び機械類の運転操作はしない下さい。

34. てきはてき

 

 

「魅力的なやきものです」という表現についてです。

とてもよく見かけます。

なぜ「魅力のあるやきものです」と言えないのでしょうか。

 

言葉として誤りがある、というわけではありません。

ですが、魅力という言葉に「的」が付くと「本当はそれほどたいした魅力は感じないのだけれども」というニュアンスに不思議となります。

 

同様の例に「本格的なやきもの」というものがあります。

なんだか「実のところは本格ではない」といわれているように思えてくるのです。(「本物志向」よりはずいぶんマシかもしれませんが)

「本格とも思わなければ魅力もさほど感じない」のだけれども、とりあえず何か褒めておかねばならない、という場合にはたいへん便利な言葉のようです。

その作品を作る側に立てば、言われてあまり嬉しい言葉ではないように思えます。

 

日本語において「的」は前の名詞を骨抜きにするのでしょうか。

どうやらこれは、「魅力」や「本格」だけではありませんでした。

「良心的」、「絶対的」、「抜本的」・・・なんだか総体的に胡散臭くないですか?

私が懐疑的に過ぎるだけなのかも知れません。

 

端的に私的な話でした的。