【閲覧上のご注意!】※閲覧前に必ずお読みください。
このコーナー「やきものの常識は疑え!」は、やきものギャラリーおよび美術館の企画、または関連書籍や陶芸作家の言動や作品、あるいは、現代社会において楽しく充実した生活を送るすべを心得ておられ、現在この国は民主主義であると何の疑念も抱かずに受容されている方にとって、必要なことは何一つ書かれていません。閲覧により不快感、吐き気、嘔吐、食欲不振、めまい、ご家族への八つ当たり等の症状があらわれた場合、ただちに閲覧を中止し、当方ではなく医師・薬剤師・唎き酒師・祈禱師などにご相談下さい。乳幼児、小児にこれを読んで聞かせる場合はご家庭の教育方針への抵触にご注意下さい。また、本稿を閲覧しながらの自動車及び機械類の運転操作はしない下さい。

37. その話し酒盃では無し

 

酒盃の形によって酒の味が変わる、という話をよく耳にします。

確かに、同じ酒でも酒盃を代えると味はずいぶん変わります。これは事実です。

 

ところが時に、ちょいとそれはおかしいのではなかろうか、という説が通っています。

よくあるのは、「舌は甘み、酸味、苦みなどを感知する箇所がそれぞれ異なり、たとえば口縁部が薄く端反りの盃で呑むと酒は舌の奥に入りやすく酸味が強調され、厚めの口造りのぐい呑みの場合は酒はまず手前に落ちるので甘味を感じやすい・・・」といった類いのものです。一見、もっともらしく感じるかもしれません。

 

舌で味覚を感じ取る場所の分布を表したいわゆる「味覚地図」は、20世紀初頭に発表され、すでに30年ほど前にはそれが誤りと認定された学説ですが、それをいえば話はそこで終わってしまい面白くも何ともないので、ここではあえて、その「味覚地図」がまだ信じられていた時代に遡って、その検証をしてみます。

 

まずは、酒盃の口縁部の形状(厚手、薄手、直立、端反りなどです)によって酒が舌に落下する箇所が変わるということですが、実際にそのようなことはありません。

どのような形状の酒盃で呑もうとも、まがりなりにも酒の違いを味わおうとする意図のある者であれば、いつも一定の処に酒を落とします。諸条件を統一した方がわかりやすいからです。薄い端反りであろうが厚い内向であろうが一切関係ありません。これはたいした芸当などではなく、実はたいがいの酒好きは意識、無意識に関わらず常に実行していることなのです。落下箇所が変わるのというのは、呑む際の身体的な動きや、意図または自己暗示によりわざわざ落下地点を変えていることに原因があると思われます。(アルコール摂取のみが目的の方の場合は、もとよりどこに落ちようが関係ないのでここでは知りません)。

またそれによって「味が変わる」と感じる場合、料理や体調との兼ね合い、または料理を摂らず体調を万全に整えて臨んだとしても、一献目と二献目とでは随分味は変わるということも忘れてはなりません。

 

次に、これが更にとても重要な点なのですが、人間の舌で感知した電気信号を脳が認識するまでには時間差が生じます。切り傷を負っても、切るのと痛みを感じるのとが同時でないことと同じです。

仮に酒がまず手前に落ちたり奥に飛んだりしたところで、舌の各所が電気信号を感知するまでの間にはすでに酒は舌全域に回っていて、脳がそれを味覚として受け取る頃には、更にそれらがすべて合わさって入力された総合情報となっていて、それが「酒の味」として認識されるわけです。

酒の味は星の輝きのようなものです。少し間をおいてから広く届くのです。

ついでに言えば、一献目とそれ以降とでは酒の味は次々と変化し、更にその前後に料理を食したりすると舌の状態や感度も加速的に変化するものです。

 

それでは、酒盃によってそれほどまでに酒の味が変わるのはなぜでしょうか。

 

ちょうど、良い例があります。

音楽を制作したり大きな会場で演奏したりするとき、幾つもの楽器の演奏はいったんミキシングコンソールという機材に入力されます。そこで各音源の音量や音質を調整したり加工したりされた後、ひとつにまとめられ出力されたものが楽曲として流れてくるわけです。このミキシングという作業次第で、作品としての楽曲の品質は大きく左右されるものです。

 

唐突にこのような喩えを持ち出したのは、酒盃による酒の味の変化と、ミキシングによる音源の質の変化とは、その道理と成り立ちがあまりにもよく似ているからです(興味のない方にはごめんなさい)。酒と酒盃が音源、集音マイクとラインケーブルが手、目、鼻、唇と神経、ミキシングコンソールが舌と脳、そして聴衆が味覚の認識にあたります。

その説明をいたします。

 

酒を呑む際、まず目の前に酒盃があったとします。

それを目にした段階ですでに何かしらの印象が入力されます。

次に、酒盃に手に触れる、手に取る、口へ運ぶ、香りを嗅ぐ、唇に触れる、盃を傾ける、という一連の所作がそれぞれ入力されます。注器から注がれる音も酒盃によって違います。

触覚、視覚、嗅覚、聴覚、筋肉と関節の運動のそれぞれが、酒盃情報としてミックスされたものと、酒のそれぞれの味覚成分や酒の温度などの舌で感知しミックスされた味覚情報とが脳に入力された後、処理されミックスダウンされたものが「酒の味」となって知覚されるわけです。

酒盃が異なるということは、すでにこれらの組み合わせやそのバランスが入口で変わるということです。またそこには随時、印象というものも干渉してきます。

結果として完成された「酒の味」が違ってくるのは気のせいや舌への落下箇所などではなく、物理的条件の変化に対する知覚反応の相違に他なりません。

ただし、いかにその演奏が良かろうとも録音機材が壊れていたり元から不良だったりする場合と同様、どれだけ酒質が優れていようが、呑む本人が壊れていたり元から不良だったりすると、正しく出入力されません(※注 後者の場合の「不良」は“素行”ではなく“感覚”のことです)。

 

余談ですが、「やきものとして」は非常に優れた酒器が、酒を呑む器としても優秀とは限りません。また、気に入った酒盃で呑むと気分が良いので酒が旨く感じたとしても、それは気のせいか酒が良かっただけのことかもしれません。同じ酒を、最も気に入っている酒盃と、触るにも抵抗を感じるような酒盃とで呑んでみたら、後者の方がはるかに旨かったということはよくあるものです。また「使いやすさ」なども「酒の旨さ」とは比例しません。

 

酒盃の形状も含め、「ある特定の酒に合う酒盃」や「酒が旨い酒盃」を判別する唯一の方法は、実際に呑んでみることです。それより他にはありません。

酒盃の形状と酒の味との関係に、法則や規則性、または特定の傾向といったものなどはありません。

もしこれが分かれば、「レコードのジャケ買い(古い喩えですみません)」のように高確率で外し続ける、ということから解放されるのですが、残念ながら千回やっても無理です。

「試聴」させてくれるとありがたいのですが・・・・。

 

その日呑む酒に合わせて酒器を選んでいると、それだけで至福を感じるものです。

その日の酒の良し悪しは、徳利や酒盃との取り合わせの相性で決まります。

それさえうまくゆけば、酒と酒器との相性などは結局どのようにでもなるものです。

 

盃を重ねているうちにいよいよ、この酒盃によって酒の味がどう変わろうとそんなもの知ったことかいな・・・・となります。

酒器さえ良ければそれでよいのです。「アル中」ではないようです。