11. <企>の「読んでも役に立ちませんよ」 第3回

 

これはギャラリーボラである。

一般常識あるいは教養を備え現代社会に適応する善良な紳士淑女の皆様は決してこれを読まぬほうがよい。

読んでもまったく役に立たぬことは表題の通りであるが、読んでどうなろうとも私は一切知らない。

 

 

第三回 鬼も笑わぬ話

 

 

やきもの作者、やきもの業者ともに、三年先まで個展などの予定を入れる輩が少なからず存在する。

 

三年先の状況まで読めるとは実にたいしたもので神の領域ですらあると思うのだが、そのどちらかが死んだり、やる気がなくなったり、倒産したり、才能が枯渇したり、嫁に反対されたり、イヌに噛まれたり、公安に連れて行かれたりしたとき、いったい誰がそれの実現することを楽しみにしていた者、あるいはそれによって利害の生ずる者などに対しての責任がとれるのであろうか。

 

契約書もないどころか、その依頼内容も牛の寝言のごとく曖昧模糊とし、支払い条件など口にすれば三日のうちに陰陽師のところに駆け込まねば大変なことになるのか?としか思われず、“作家在廊は本人の意思であったか否か”などと、日韓であれば後々延々と争議のネタになるであろう類の問題の宝庫といえるこの業界に、なぜそこまで無防備に追従できるのであろうか。「やきもの作家」はやはりその多くがアホなのではなかろうか?

もし私が「やきもの作家」などの立場であったならば、決して半年より先の予定などは入れないであろう。

 

面倒なのは、現在では素人集団と化し、やきものの話をまともに出来る者が人間の言葉を喋る亀ほどもいないデパート美術などで上記の如くアホ作家たちがなぜか個展を開きたがり、鬼ですら笑いが枯渇し、「人工知能どん」が人間に代わって茶を飲んでいるかも知れない未来までの予定を次々と入れることにより、「ふつうのやきもの店」では半年先の予定も組めなくなることだ。

またそういう理由で止むを得ず随分先の予定を入れたとしても、そういった輩は上記のような場所から声が掛かると尻尾を振って、労働基準局と全面的に闘いながら日々を送っている「ふつうのやきもの店」との約束を平気で破る、かなり控え目の表現ではあるが「クソ野郎(女性でも同じ)ども」が決して少なくはない。特定の職種であれば「ゆび」が何本あっても足らぬであろうと思われるので、彼らの職業選択は正しかったといえる。

契約書が無いなかでの不文律が如何なるものであるかということについて、彼らはあまりにも無知である。

 

「やきもの」は本来、歴史を通した様々なものの中にあって充分誇るべくものであるのだが、残念なことに「現代陶芸界」のレベルは、熊が次々と脱走する熊牧場の柵に比べても相当に低いのだ。

 

さてその対策であるが、これはもう神仏に後世を祈願するか、とにかくそのような業界からは速やかに身を引きあとはどうなろうと「知らんぷり」をするか、そこを何とか踏ん張ってアル中にでもなるかのいずれかしか選択肢は思い浮かばないのである。