【閲覧上のご注意!】※閲覧前に必ずお読みください。
このコーナー「やきものの常識は疑え!」は、やきものギャラリーおよび美術館の企画、または関連書籍や陶芸作家の言動や作品、あるいは、現代社会において楽しく充実した生活を送るすべを心得ておられ、現在この国は民主主義であると何の疑念も抱かずに受容されている方にとって、必要なことは何一つ書かれていません。閲覧により不快感、吐き気、嘔吐、食欲不振、めまい、ご家族への八つ当たり等の症状があらわれた場合、ただちに閲覧を中止し、当方ではなく医師・薬剤師・唎き酒師・祈禱師などにご相談下さい。乳幼児、小児にこれを読んで聞かせる場合はご家庭の教育方針への抵触にご注意下さい。また、本稿を閲覧しながらの自動車及び機械類の運転操作はしない下さい。

71. 経年の話

 

 

「美術品」と言われているものの場合、通史にて評価が普遍性を有するもの、つまり「良いもの」は、ふた昔ほど前まで「良いものが必ずしもお金のあるところに納まるとは限らない」と言われていたものです。

本当に心底「好きで熱意のある」ところに納まることも多々ある、という意味です。

 

理由は簡単で、かつては古美術商には、現在となっては恐竜より現存数が少ない、“筋金入りの粋人”が多かったからです。

 

時代が変わり、現在ではそういったものは「好き、熱意、共に左程でもないがお金はたくさんある」ところに、まずほとんど全てのものが納まります。各種オークションだけの話ではありません。

ほんとうにモノが“見える”者は、ヒトも同様に見えるものですが、現在では押し並べて百貨店の店員の如く、ヒトもモノもすべてカネにしか見えない者が大半である実感です。

 

理由は簡単で、これらが「株式証券」などより確実に投機対象として確実であるという認識が共有されたからです。

 

古美術に限らず、製造後たかだかだか50~60年ほどの楽器なども同じ傾向にあります。

因みにヴィンテージギター市場では、例えば80年代中頃まで200万前後で取引されていて“高嶺の花”とされていた58、9年製あたりのギブソンレスポールが現在では6000万以上で取引されていて、まだ確実に値上がりするそうです。同器種70年製となっても当時は中古品扱いで定価(約24万円)の半額以下であったものが、今ではその10倍ほどの値が付きます。このように“演奏家の買えない楽器”は近年急激に増えています。すでに、楽器として以外の価値となっているわけです。

 

現代製のやきものなどでも、「もとより転売目的」で購入する輩は存在します。尤もこちらは、ネットオークションなどで買値より少々高く売れたとしても、長時間並んでクジ引きで買うなどの労力からすれば、最低賃金などという甘い基準に満ちたこの国では真っ当に働いた方が利は多いかと思います。

 

そういえば随分以前より絵画の世界では、ゴッホやクリムト、モディリアーニなどといった、もはや絵画ではなく完全に有価証券と化している「銘柄」は少なくありませんでした。

そう、これらはまさに銘柄と化してしまっているのです。

なぜなのでしょうか?

 

理由は簡単で、社会全体がほぼバカと化したからです。

 

日本企業の質の低下が著しいのは、そういった株主の顔色ばかり覗っているからです。

日本国の質の低下が著しいのは、主体性思考力の欠落し、都合の悪い言葉をすり替え安心し当たり障りは極度に恐れる「おひとよし」な国民の顔色ばかり覗い、確実に国力の障壁となる法案を次々と強引に通し、「おひとよし」の国民はそのように勝手に何をどのようにされても、ささやかな文句は言えども暴動すら起こすことも出来ないからです。

 

話を戻しますが、現在では買う側はとにかく何でもよいから「あとで売れる」物を買う、売る側はとにかく誰でもよいから「高く買う」者に売る。

こう言うと、「そんなもん当たり前であろうが。資本主義とはそういうもんなんや、このバカめが!」とおっしゃる方は多いと思います。

 

もちろん、そういうことなのでしょう。

 

熱伝導の法則と同じく、よりお金のある方に金目のものが移動するのは資本主義経済として何も間違ったことではありませんが、要はそれを「どういった者達が取り行うのか」によって少々ニュアンスが異なるわけです。

物事も人間も、品質の核心は、この「少々のニュアンスの違い」にあると思っています

 

特にやきものや人間の場合では、経年による変化を“劣化”とするか“味わい”とするかは、そのニュアンスの感知力によって大きく左右されるものです。

やきものでは、例えば粉引の「シミ」や茶碗の「貫入」ひとつでも、味となるものもあれば単なる汚れに過ぎぬものもあります。汚れと味は明確に別モノなのですが、ただの汚れを「味」だと信じ込む者は少なくありません。
人間の場合では、年齢を重ねることにより味わいや輝きを増す者もあれば、ただひたすら老化を加算し続ける者もあります。

 

古い慣用句にもあるように、「何とかと何とか」は紙一重なのです。