4. 貧乏陶芸家が集める骨董 古染付草花文水滴   石山哲也

我が家には殆ど染付がありません。骨董歴はそこそこ長いのですが、そば猪口や七寸皿など、いわゆる古伊万里と呼ばれるものや上絵のものがどういうわけか存在しないのです。それなら古窯や桃山陶や李朝がいいのです。ただ、古染や初期伊万里など、17世紀前半の染付には惹かれます。何が違うと言われても困るのですが、磁器だけでなく陶器も同じことが言えます。世界的に見ても17世紀前半まで。それからは一部の焼き物を除いて何故か魅力を感じなくなってしまうのです。

 

焼き物に関わる人間として、中国の景徳鎮は宋代の青白磁、そして世界で初めて染付が焼かれたという場所であり、かねてから行きたいと思っていました。20年ほど前のテレビでは、焼成は薪窯で、もうもうと土埃の立ち込める舗装されていない道を自転車の群れが行き交っていたので、古くからの窯業や町並みが見られると楽しみにしていました。ところが実際の景徳鎮市は人口約160万人、そのうち20パーセントの人が陶芸関係の仕事をしているといわれており、空港もあり、20階、30階建てのビルがまるで筍のように建設されているなかなかの大都市で、薪窯も今や近代的なガス窯へと変わり、あれだけあった自転車も外国人の自分だけ、道は渋滞、三日に一度は事故を見るという、交通ルールがめちゃくちゃな場所でした。景徳鎮の陶磁大学だけでも約2万人の学生が在籍しており、スケールの大きさはやはり中国ならではです。

なにより驚いたのは、高さ3メートルもある花瓶、2メートルの磁器の皿、3メートルの長さの板を磁器で軽々と造り、それらが普通に焼き上がってずらりと並んでおり、日本の全ての窯業地を集めても景徳鎮のスケールには足りないのではないか?と思うほどです。しかし高層ビルが立ち並ぶすぐ横の川原に降りれば宋の青白磁茶碗がくっついているサヤが転がっていたり、友達が土地を買ったものの、二人組の墓泥棒が毎日盗掘に来て怯えていたなど、まだまだ歴史感もただごとではありません。良質の磁土が取れ、カオリンの語源となった高嶺山も今や土を採掘する人もなく、古代を彷彿とさせるガスも電気もなさそうな農村では、庭いっぱいに筍や唐辛子を干していました。大都市のすぐ横では昔ながらの生活が息づいていたりするのです。

 

毎週月曜日の朝に開催される骨董市もユニークで、日の出に始まるのは日本と同じですが、午前10時ごろには殆どの店が店じまいしてしまいます。偽物も沢山ありますが、本物も結構あり、殆ど青白磁で、建窯、徳化窯、吉州窯もほんの少し混ざっています。毎回内容はがらりと変わり、完器は窯跡や墓からの発掘品で、いわゆる名品はありませんが、産地直送感が凄く、まだ中に土が詰まった青白磁の日月壺が朝掘ってきた芋のようにずらりと並んだり、福建省からはるばる来たという業者が天目茶碗の破片をまるで砂利のように山にして麻袋に詰めて売っていたり、毎週眼が離せない状態でした。もっとも昨今の空前の天目ブームで陶片の山は次の年には消え、バラ売りになり、ちょっとした油滴の陶片は一個幾らで高値となっていました。巨大な家形の蓋が付いている高さ70cmほどの宋時代の大壺は、副葬品を嫌う中国人は誰も買わないということで値段もびっくりするくらい安く、不可能とはいえ何とかならないものかと悶々としたものです。建設ブームで発掘品や家具が大量に市場に流れ、活気を呈していましたが、変化も早く、いずれは無くなってしまうのかもしれません。

その骨董市のもうひとつのハイライトは陶片エリアで、大きな中庭に膨大な数広げられていて、吉州窯の玳皮盞天目、青白磁などがあるわけですが、その中でも圧倒的な数があるのが染付で、一般的な草花文から兎、蛙、蟹など珍品もあり、窯跡から出てきたものが並んでいるわけですが、日本からの注文品と言われている、虫食いがあり、厚手のいわゆる狭義の古染付は残念なことに一つも見ることができませんでした。またいつか訪れて、リサーチしてみたいものです。

 

今回の水滴、日本注文の古染付と思いますが、取っ手も注口も壊れてありません。でも、この美しい青で描かれた花の周りを飛び回るへたっぴな蝶の図が、何だか懐かしい景徳鎮の民末清初の空気が閉じ込めてあるようで、しばしば握り締めたまま見入ってしまうのです。

民末清初 幅7,5cm、高さ5,3cm