作品展が行われています。美術画廊などにおいてのことです。
それらが「売り物」の場合の話です。
作品の近くには、作品名とその価格が記されたキャプションが置かれています。
「売約済み」のものには、キャプションに「赤丸」シールが貼られています。
- 赤丸が貼られているが価格がそのまま見えるもの。
- 価格の一部を隠すように赤丸を貼っているもの。(75.000円→○5.000円というふうに)
- 売れた作品を展示スペースから除去し、赤丸を貼ったキャプションを片隅に並べている。
- 売れたものは、キャプションと共に除去している。
と、だいたい売約済みのものにはこのうちのどれかの処置がとられています。
さて、いかがでしょう?少なくとも「買う」という前提で、美術画廊に足を運んだ経験のある皆様はこのことについて、どのような感想をお持ちですか。
まずは1.と2.の場合から考えてみます。これを良しとせず2.の処置を取る者は、購入者がその値段を他者に知られたくないという要望に配慮したものと思われます。
ではなぜ値段をしられるとマズいのでしょうか。高額ならば税務署に睨まれ、安ければ庶民に蔑まれるのでしょうか。それとも家族がひそかに調査にやって来て、あとでひどい目にあうのでしょうか。または茶会にその茶碗を出したら、「あの茶碗、高そうに見えてホントは7万5千円なのよ」とあとで必ず言われるのが嫌なのでしょうか。(二割値切って6万にさせたのだから高く見積もられているにもかかわらず、です)
いずれにせよロクな理由ではないのです。もっと堂々と買えないものでしょうか。それらの事情はすべて自分で解決できるものです。
こういう者の片棒を担いだ2.の対処を目にすると、とても卑しいものを感じさせます。なので1.の方が違和感を覚えず、またいずれにせよ、売約前に見た者にはすべて1.の状態を目撃されているわけです。
3.4.を検証してみましょう。
いずれも、売約後に来場すると作品は無いということです。
この国の美術画廊での作品展のほとんどが、「展示即売会」です。売っているわけです。
通常世間では買ったものは持って帰ってもよく、取り置きや配達などの方法もあります。
ですが、ここで注意してほしいのは「展示」という言葉です。画廊での「展示即売会」は他のそれに比べると「展示」の比重が大きいのです。出品作品をできるだけ多くの人に見てもらうことが画廊の責務です。売れたらさっさと片付ける、ではダメなのです
これを言うと、大概は同じ答えが返ってきます。“赤丸付きの作品を見た客は「良いと思ったもの物は、やはりすでに売れている」と言って買わずに帰る”、というものです。
さて、それはどうでしょう。
実際に買う気のある人は、赤丸が付いていようがいまいが、自分に必要とみれば買うしそうでなければ買わない、それだけのことです。
赤丸は、しばしば“買わずに帰る言い訳”(そんなものはまったく必要ないのですが)に使われます。
画廊を何年やっていても、こういうのを真に受けて、売れるとそそくさと仕舞い込む者がいまだに存在します。たぶん本人もその同類か、売っているものに興味が無い(!!・・・こういう者がほんとうに実在するのです)か、なのでしょう。
ここで3.と4.とに分かれるわけです。
4.については売約後の来場者からすれば、その作品は最初から存在しないのと同じですので、作者がそれで良いならばそれでよいのでしょうが、そうでなければ「断固として抗議」するべきです。購入者が持ち帰って自宅に仕舞い込もうものならば(少なくない!)当分の間、この世に存在しないに同じこととなるのです。
それならば3.の方が良いかとなると、そうはいきません。
だいたい、現物がすでにそこには無いのに、出入り口付近に赤丸付きキャプションが魚の干物のように並んでいるのを見ても、客からみれば面白くも何ともありません。これだけ売れたのだぞ、と言いたいのかも知れませんが、参考になるのは税務署員くらいでしょう。
これが、1.~4.のなかで最も品の無いやり方です。
1.~4.のやり方に順列をつけるなら、まず1. そしてかなり離れて2. 更にずいぶん離れて4.以上で3.は論外です。
展示作品が、その細部に至るまで神経が行き届いているならば(普通、そうでなければマズイ)、作品展示も同等の神経が要求されます。
買う者をナメてはいけません。彼らは意中のものに赤丸が付いていれば、残りのものをより集中して探します。その際に先の赤丸付きが参考になる場合があります。その作品展の全貌を見て、その作者の今後の展開を予測したり期待したりします。
そのうえで今回は購入を見合わせるとき、次回は無理をしてでも早く来場しなければと決意するものなのです。
「顧客心理を知れ」とはどのような業界でもいわれることですが、それにはまず自らが顧客であることです。
美術画廊や美術館員など「美術」に従事する者が、皆「美術好き」であると思うのはとんでもない誤解です。自分用の「美術品」を、それなりの額を支払って自腹で購入する者などは、ごく一部の例外的少数にすぎないのが実態です。
そのことは、現代日本の美術事情を形骸化させ、今や美術館は観光スポット以外の何物でもなく、名だたる歴代の美術を単なる見せ物に貶め、商売人にいとも簡単に「育成」される作家達はその作品に商売根性を染み込ませながらも、結局その両者は商売としては中途半端に留まる、という現況がなんら不思議でも意外でもなく、成るべくして成ったとしか思いようがないのは悲しいかぎりです。
この状況を打破するにどうすれば良いでしょうか。
実に簡単です。 理論上は・・・。
美術業に従事する者(ここでは他業種は該当しません)で、年収の30%以上(少なめに見積もっています)を美術品の購入に充てない者をすべて、美術業界から排除すればよいだけのことです。そうすると美術関係者が激減する反面、美術市場の質は明らかに向上するでしょう。
市場の規模も縮小するでしょうが構うことはありません。いかなる時代でも本来はそういうものなのです。それに、実質規模が外観よりはるかに貧弱なのも、現代の美術市場の特徴です
「生活が?」・・・聞かなかったことにしましょう。
美術と心中してなんぼ。それが貴方の選択した生活です。嫌ならやめることです。
歴代美術群の集積は、ひとりの人間の命より重いのです。