短い やきものの常識は疑え!始めました。
「やきものの常識はまず疑え!(「まず」はなかったかも知れない)」では、文が長い(実際には草稿の五、六分の一ほどに省略している・・)、解らん(やきものに興味を持ち始めて間もない方々にも解る内容を、と常に心掛けているが・・)、という方もいらっしゃるそうなので、出来るだけ短く平坦に♡を心掛けてのこの欄です。自己営業妨害といえる本編で、すでに触れた内容もそうでないものもあります。 解りやすいが故に自律神経などに支障をきたし、ご家族に八つ当たりなされても当方は一切責任を負いませんので、その場合の捌け口は劣悪な国政ならびにそれを許容する現代社会にお求め願います。

その6.

 

その6. 無作為詐欺に注意

 

やきものに関わっていると、今も昔も「無作為」という言葉を多用する人にお目に掛かることが少なくありません。轆轤挽きっぱなしの円筒ならば「無作為」、動きがあれば「作為的」、「歪ませている」・・・。
せめてそういったことを「自然」と混同していなければ、と祈るばかりです。

人間の意思を伴う行為は全て作為ですが、「うっかりミス」や「もの忘れ」はたしかに無作為かもしれませんね。また、永い修練を積んで無作為の境地に達する人があれば、これぞ究極の作為でしょう。

そういったことを真に受けてしまう”純”な作者さんたちには、その手の発言を頻発する人には決して取り合わないことをお勧めします。確実に作品が劣化するからです。

何でもかんでも真に受けるのも無作為の一種かもしれませんが、「創造に欠かせない素直さ」とは似て非なる全く別のものです。「疑う」という無作為も、時には必要です。