その6. 無作為詐欺に注意
やきものに関わっていると、今も昔も「無作為」という言葉を多用する人にお目に掛かることが少なくありません。轆轤挽きっぱなしの円筒ならば「無作為」、動きがあれば「作為的」、「歪ませている」・・・。
せめてそういったことを「自然」と混同していなければ、と祈るばかりです。
人間の意思を伴う行為は全て作為ですが、「うっかりミス」や「もの忘れ」はたしかに無作為かもしれませんね。また、永い修練を積んで無作為の境地に達する人があれば、これぞ究極の作為でしょう。
そういったことを真に受けてしまう”純”な作者さんたちには、その手の発言を頻発する人には決して取り合わないことをお勧めします。確実に作品が劣化するからです。
何でもかんでも真に受けるのも無作為の一種かもしれませんが、「創造に欠かせない素直さ」とは似て非なる全く別のものです。「疑う」という無作為も、時には必要です。