その20. 個性と特性について
「個性」というのはその個体に備わる性質ですが、とりわけその個体特有の性質であれば「特性」ということになります。
日常多くの場面で使われる「個性」という言葉の実態のほとんどは、どうやらこの相対的な「特性」のことのようです。だったら元より「特性」と言えばよいのに、と思います。
「特性」は他との対比によって、また「個性」は単独で成立するものです。つまり、地球上のすべての物質には「個性がある」わけで、その強弱や差異は他との相対性により初めて存在する「特性」なので、「個性が強い」などというのは不可解な言葉で、「個性的」に至っては更に意味不明です。小学生の頃、こういった発言をすると「屁理屈!」と言われたものですが、こうやって後期思春期、更年期も経た後に慎重に再考してみてもやはり以前と同様に感じます。進化が無いのは個性なのでしょう。
「個性」を頻発する人は、やきものに関わっていても見かけることが多いのですが、その場合なぜか一様に本来の「特性」への感度が鈍く、モノの見方も雑で粗忽であるという傾向を感じます。少なくともやきものに関しては、「個性」「オリジナリティー」「独創性」などといったことは実に全くどうでもよいことで、「特性」として「良いやきもの」か「そうでないやきもの」であるかがその価値の全てです。良いやきものであれば、そのやきものの特性が良質であるということです。「良いやきもの」の基準は、歴史上のやきものを俯瞰することによって得られる座標に当て嵌めることで、容易に導き出すことが出来ます。
「短い!」がモットーのこのコーナーですが、回を重ねる毎に長くなっているような気がするのは、「常識を疑う」ということの特性なのかも知れません。