短い やきものの常識は疑え!始めました。
「やきものの常識はまず疑え!(「まず」はなかったかも知れない)」では、文が長い(実際には草稿の五、六分の一ほどに省略している・・)、解らん(やきものに興味を持ち始めて間もない方々にも解る内容を、と常に心掛けているが・・)、という方もいらっしゃるそうなので、文章の拙さが更に露顕する十行程度(400字前後)でのこの欄です。自己営業妨害といえる本編で、すでに触れた内容もそうでないものもあります。 あまりに解りやすいが故に自律神経などに支障をきたし、ご家族に八つ当たりなされても当方は一切責任を負いませんので、その場合の捌け口は劣悪な国政ならびにそれを許容する現代社会にお求め願います。

その21.

 

その21. 技術について

 

やきものにおいての「高い技術力」とは何でしょうか、という話です。

 

<轆轤を紙のように薄く挽ける> 練習すれば誰でも出来ます。利点としては同一寸法のものであれば土を大量に節約できることくらいでしょう。

<手が早い> 締め切り間際に数多く作る際にはとても便利な技術ですが、それ以上でも以下でもありません。「すり」の方々には死活問題に直結する重要な技術です。

<窯を正確に焚ける> 当たり前のことであり、できなければ「低い技術」となるだけです。

<作るものに適した素材を選ぶ> 「土がどうした」とわざわざ言いたがる人達ほど素材選びが出鱈目なのはなぜなのでしょうか。不思議なことです。料理屋さんは陶芸家さんのようにマグロの刺身にカツオは使いませんし、焼き豚に牛も使いません。「窯がどうした」というのも同じです。上手く焚けないのは「窯」のせいではありません。天ぷら屋さんは揚げ損ねても鍋のせいにしませんし、まずは揚げ損ねません。お客も「鍋の様式は何か?」などとはあまり尋ねません。

<自己宣伝と営業力> 現代の陶芸家さんたちの多くが最も力を注いでいるのがこの技術のように見受けられます。やきもの作成技術の不足する方々でも比較的簡単に実を結ぶこの業界ですので、SNSの蔓延する現在において、「己を知る」殊勝な方々は是非とも向上させるべき技術かと思います。お店と付き合う必要もありません。

<良いやきものを焼く>やきものにおいて必要な技術はこれ以外にはひとつたりともありません。良ければ良いほど「より高い技術力」といえます。それは具体的にはどういった技術か?・・・は、各自でお考え下さい。目的によって手段と内容が異なるからです。因みに、「良いやきもの」の基準の出し方については前回述べています。

「作り方」は技術のごく一部にすぎません。やきものそのもの以前に「作り方」に注力する人は、やきもの焼きには向いていませんので宣伝力を向上させればよいと思いますが、私どもとは無縁であることを願っています。