短い やきものの常識は疑え!始めました。
「やきものの常識はまず疑え!(「まず」はなかったかも知れない)」では、文が長い(実際には草稿の五、六分の一ほどに省略している・・)、解らん(やきものに興味を持ち始めて間もない方々にも解る内容を、と常に心掛けているが・・)、という方もいらっしゃるそうなので、出来るだけ短く平坦に♡を心掛けてのこの欄です。自己営業妨害といえる本編で、すでに触れた内容もそうでないものもあります。 解りやすいが故に自律神経などに支障をきたし、ご家族に八つ当たりなされても当方は一切責任を負いませんので、その場合の捌け口は劣悪な国政ならびにそれを許容する現代社会にお求め願います。

その29.

 

その29. 高台です

 

やきものの本をみると、「高台は茶碗の心臓、要、生命、高台がダメな茶碗はダメ」等々、その重要性について書かれているのを目にします。果たしてその実態は如何でしょうか?

 

高台は茶碗のケツです。

茶を喫した後、ひっくり返して眺めますね。つまり起承転結の「結」です。何のケツだと思われましたか?

実際には高台は無くとも器として成立しますので、「心臓」や「生命」ではありません。前回(28.)述べましたように、茶碗を含め器の生命は「見込」です。良し悪しは別として、これが無ければ器ではありません。因みに心臓にあたるのは「材質感」だと思っています。

やきもの好きは、茶碗でなくとも、酒盃、茶入、花入、大壺・・とにかく何であろうが、先ずひっくりかえして「ケツ」を眺めます。「結」も何もあったものではありません。つまり鑑賞の上で、先ずはとても気になる部分だということです。たいへん尤もなことで、賛成に一票です。

つまり「面食い」の人々にとっての「顔」に該当するわけです。やきもの好きは、ケツこそ顔なのです。

やきものを作ることを「作陶する」といいますが、やきもの好きは「倒錯する」ものでしょうか。