その36. 新鮮とは限らない深浅の話
やきものを見る、ということにも深浅というものがあります。
見かたの深浅については、いろいろな他のものにも置き換えることができます。
行動に際してのモチベーションというものがありますが、一般にこれを「意欲」「やる気」として使われる場面が多いようです。たしかに「やる気」というものは無いよりは有るに越したことはないのですが、モチベーションの本意である「動機」の増減が、やる気や意欲の上下ではたいへん覚束ないものです。
動機は単純に「なぜそれをやる必要があるか」という主原因ですので、やる気や意欲は二次的なものに過ぎません。モチベーションが上がったり下がったりというのは、本来、仕事なり行動なりの発生要因の増減のことなので、やる気や意欲などの有無に関らず結果を同等に成すことが必要です。
やきものは雰囲気や表層のみを浅く楽しむだけでもけっして悪くはありませんが、そこにあるやきものが、なぜそのような形態で発生し存在するのかについて留意してみると、やきものからより多くの情報を得られ豊かなやきもの生活が約束されます。それを続けることによる副産物として、そのやきものの深浅についての判別も容易になりますが、”知らぬが仏”ということわざもありますので無差別に推奨はできません。