【閲覧上のご注意!】※閲覧前に必ずお読みください。
このコーナー「やきものの常識は疑え!」は、やきものギャラリーおよび美術館の企画、または関連書籍や陶芸作家の言動や作品、あるいは、現代社会において楽しく充実した生活を送るすべを心得ておられ、現在この国は民主主義であると何の疑念も抱かずに受容されている方にとって、必要なことは何一つ書かれていません。閲覧により不快感、吐き気、嘔吐、食欲不振、めまい、ご家族への八つ当たり等の症状があらわれた場合、ただちに閲覧を中止し、当方ではなく医師・薬剤師・唎き酒師・祈禱師などにご相談下さい。乳幼児、小児にこれを読んで聞かせる場合はご家庭の教育方針への抵触にご注意下さい。また、本稿を閲覧しながらの自動車及び機械類の運転操作はしない下さい。

25. 自分で決めるの話

 

 

「これは何に使うものなのですか?」と、ひとに尋ねてはいけません。

 

それが、まったく不可解かつ変なものであったとしても、とにかくそれは自分で決めて下さい。自分ならばそれをどう使うか、について考えてみて下さい。

本来の用途などが設定されていたとしても、それはどうでも構いません。

 

「徳利ですよ」と売っているものを「ああ、徳利ね」と買って帰ったとしても、それは徳利以外の何ものでもなく、それではもったいないと思います。

「これは徳利ですか、それとも一輪挿しですか」との質問は案外多いものです。

その場合、「酒を入れれば徳利、花を挿せば花挿し、‘一輪’でなくてもかまいません。用途はもちろんそれ以外にもありますのでお好きなようにどうぞ」と答えています。

 

話が逸れますが、私は「菓子鉢」、「一輪挿し」などの呼び方が嫌いです。「雑器」という言葉はさらに大嫌いです。「陶芸」というのもそれに増して・・・・話を戻します。

 

やきものを使うという行為は、学習の履行ではありません。もっと自発的能動性をもったものです。(「的」や「性」ですみません)

 

やきものは、何にどう使おうともかまわないのです。「使わない」という使い方もあるにはありますがお勧めはしません。

茶碗でカツ丼を食おうが向附を灰皿に使おうが、茶入でヤクルトを飲もうが本当にそう使いたいと思うのであれば、それは「正しい使い方」です。それを見て不満に思うような作者がいたとすれば、それはダメな作者です。

 

「やきもの使い」は、一度自発性をもつと連鎖して拡がるものです。楽しいですよ。