【閲覧上のご注意!】※閲覧前に必ずお読みください。
このコーナー「やきものの常識は疑え!」は、やきものギャラリーおよび美術館の企画、または関連書籍や陶芸作家の言動や作品、あるいは、現代社会において楽しく充実した生活を送るすべを心得ておられ、現在この国は民主主義であると何の疑念も抱かずに受容されている方にとって、必要なことは何一つ書かれていません。閲覧により不快感、吐き気、嘔吐、食欲不振、めまい、ご家族への八つ当たり等の症状があらわれた場合、ただちに閲覧を中止し、当方ではなく医師・薬剤師・唎き酒師・祈禱師などにご相談下さい。乳幼児、小児にこれを読んで聞かせる場合はご家庭の教育方針への抵触にご注意下さい。また、本稿を閲覧しながらの自動車及び機械類の運転操作はしない下さい。

8.  やきもの業界の常識を疑う その2

 

個展の折り、画廊は作家に「在廊日はいつにするのか」と当然のように尋ねます。

これがなぜ当然なのでしょうか。

作者は作るのが仕事、画廊は店で売るのが仕事、なぜ作者が画廊へ出張し販売促進を行わなければならないのでしょう。

「日当」が出るならば、それは「アルバイト」といいますが、そんなものが出る話は聞いたことがありません。それどころか普通、交通費・宿泊費も出ません。これは如何なることでしょうか。

画廊主が作者の仕事場で薪割り、土運びなどを担当しているのであれば、これは「相殺」ということになりますが、これもやはり、あまり耳にしません。「資本主義社会」はどうなっているのでしょう。

 

まあ、作者は古来より役者などと同じく「河原もの」という立場ですので、タダでこき使われるのも「伝統の継承」なのかも知れませんが、時折り作者本人が商談を成立させても「当然」歩合は出ません。

 

画廊の皆様、作者に在廊を要求するのであれば、せめて宿泊費くらいは出すのが「当然」です。そうでなければ作者を画廊の仕事場に入れてはいけません。

画廊は作者に「作家のキャラクター」でネジ込まれても、その商売魂が沈黙を守っているようではまず駄目です。

 

そういえば、ところで「先生」の正体とは何者でしたでしょうか。