15. 身腐って貝腐らん「見くさって買いくさらん、作りくさって買いくさらん、売りくさって買いくさらん」のは誰だ!?の話
※注:こちらが本稿の正式なタイトルです。文字数が多いことによりタイトル部分に入りきらなかった為、こちらに本当のタイトルを表示しました。ご了承ください。
古美術の世界では、「百万円のものを買えば”百万”、千万円のものを買えば”千万”、その買った分だけしかものは観えない」、また、「自腹で買わぬ限り、ものは決してわからない」と言われています。
経験上、これはまぎれもなく事実です。
そしてこれは古美術に限ったことではありません。
美術館でガラス越しに見ることは、それで「見たつもり」にさえならなければ見ないよりは随分マシです。ただし「マシ」なだけです。
永年に渡って、ガラス越しに何十回といわず朝から閉館まで眺め観察することを繰り返していた物を、ある時手に取る機会に恵まれそれ触れた瞬間(本当に瞬間なのです)、今までの労力は何だったのかと思わせる膨大な情報が一気に問答無用に流れ込んで来た、という体験は私自身少なからずあります。
そして自ら買える限界の物を常に手元に置き、こちらが日々動き移ろいゆく中でその「定点」と対峙することにより、その情報は間違いなくより立体的に確かなものとなります。先の「一度触れるだけ」とは比較になりません。
現代のやきものを扱う業者、作者、客、研究者など全ての立場の方に言えますが、冒頭でも引用したように「自腹」で買った分だけしか物はわかりません。
このことに関して未経験の者が、いくらこれに反感を覚えたとしてもそれは戯言にすぎません。
もっとも「専業客」は、資本主義社会においてどんなやきものをどれだけ買おうと買うまいと、その社会的責任を問われる筋合いはありません。全くの自由です。
ですが業者と作者、つまり提供する側の者で、自分用のやきものや他者の作品を買ったことの無い者(「付き合い買い」は、ここでは買うに該当しません)はニセ者です。
これは断言できます。余計なお世話ではないのです。
客に紹介する「商品」に自ら買うほどの興味は無い、ということです。
「買えない」という者がいますが、「買わない」だけです。
客は任意で買っているので、これは合法的な詐欺であるといえます。つまり「別の職種」なわけです。
ついでにとばっちりを放っておくと、メディアや美術館関係者もこれの該当者です。懐を痛める大きな買い物も定期的に必須です。
と、ここまで述べてきましたが心配はいりません。この業界は「腐らぬ貝」達で村を形成しているので、咎められることはまずありません。
が、残念なことに現代のこの業界のレヴェルが低いのは、それが大きな原因なのではないかと思っています。何とかしましょう。
簡単なことです。
一度は持ち金すべてを持って、「買い物」に行ってみれば良いのです。
日本経済にも貢献できます。