6. 常滑不識壺 15世紀 高さ19.0cm胴径22.3cm
この姿の常滑の壺は「不識壺(ふしきつぼ)」と呼ばれています。
不識とは禅の祖師である達磨が、漢の武帝との問答で、武帝が何を尋ねても「しらん」(識ラズ)と答えたことから、「達磨は不識」という「犬はワンちゃん」みたいなことになったのです。たいしたものですね。私もそうありたいものです。
そのようなわけで、この不識壺の呼称の由来はその達磨が、足が腐って取れて無くなるほど坐り続けた揺るぎのない姿を連想したものだそうです。
そのネーミングの発想においては2.でご紹介した「蹲」と似ていますが、その姿と相俟ってより強い迫力が伝わってくるものです。
この不識壺で不可解なことは、そこそこの数現存しているにもかかわらずその陶片がほとんど見られない、ということです。完品の残存が比較的みられるのは墳墓に骨壺として納められていたものが多いからです。(現在では、それをお茶人さんが水指として使用するので、カルシウムの補給にも役立っています)。
いにしえのやきものは通常、曜変天目のような突然変異や一部の茶陶のような特殊な受注品を除いては、現存する物の数を遥かに上まわる陶片の数が出るものです。
同様の例では、江戸期以前の備前の細工物くらいしかあまり耳にしません。
不識壺に限ってほとんど失敗しなかったのでしょうか?他器種の陶片のそれこそ膨大な量と、不識壺のさして特殊な任務を感じさせるわけでもないない器形からすれば、それも考えにくいことです。
もうひとつあります。肩に「源氏香文様」のような押印がありますが、これも以前はよく「天台修験道の呪符だ」とか「いや、ただの成形時の継ぎ目の補強だ」などと激しく議論が重ねられたものでした(最近はそういう興味や情熱をもった「関係者さんたち」もほとんど絶滅してしまいましたが・・)。この押印のパターンにはいろいろ有り、常滑の生産技術が伝播した日本海側の諸窯のものにも見られます。
たしかに継ぎ目の補強であれば、わざわざこんなものを押さなくてもよく、呪符にしてはけっこうのんびりとした押し様に見え、かといってただのお洒落にしてはあまりオシャレではなかったりします。何でしょうね。
とにかくふしぎなふしきつぼ、なのです。