このコーナー「やきものの常識は疑いやきものを信じよ!」は、近代以降、雰囲気や夢想あるいは「トンネルに幽霊がいる」といった類いの、どちらかといえば善良な部類のア二ミズム、または単なる迂闊にて語られ続け今や常識と化した、やきものにまつわる如何にも尤もらしい話をいろいろと疑ってみた結果、「それでもやきものは美しい!!」と宗教裁判をも恐れず言い切った先人に敬意を表したものです。
したがって、いかなる反論があろうとも私は知りません。姉妹コーナー(なぜこの手の話は例えば都市提携などでも、兄弟ではなく姉妹なのでしょう)である「やきものの常識は疑え!」(いつも命令調ですみません)では、雲霞のごとく押し寄せる反論を期待していたのですが、現在まで好評はいただいても反論は全くいただけず、とても寂しかったので今回は知りません。
また、本稿は乳幼児への読み聞かせにはさほどの実害はないと思われますが、その結果どのような大人になったとしても当方ではなく「やきものの精」のせいです。その場合、絵本のように添付の画像を見せて下さい。その小さい方が画像に興味を持たれるようでしたら、お連れ下されば実際に現物に触れていただきたいと思います。
尚、この欄に登場するやきものはすべて、売り物ではありません。
また最後に、本稿は単にいろいろなやきものをご覧いただく目的によるものであり、これといって他意はまったくありません。閲覧の結果、著しい嫌悪感を覚えられたとしても「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式にやきものまで嫌いにならないでいただけることを、やきもの共々心より祈っております。

6. 常滑不識壺

 

 

6. 常滑不識壺  15世紀 高さ19.0cm胴径22.3cm

 

 

この姿の常滑の壺は「不識壺(ふしきつぼ)」と呼ばれています。

不識とは禅の祖師である達磨が、漢の武帝との問答で、武帝が何を尋ねても「しらん」(識ラズ)と答えたことから、「達磨は不識」という「犬はワンちゃん」みたいなことになったのです。たいしたものですね。私もそうありたいものです。

 

そのようなわけで、この不識壺の呼称の由来はその達磨が、足が腐って取れて無くなるほど坐り続けた揺るぎのない姿を連想したものだそうです。

そのネーミングの発想においては2.でご紹介した「蹲」と似ていますが、その姿と相俟ってより強い迫力が伝わってくるものです。

 

この不識壺で不可解なことは、そこそこの数現存しているにもかかわらずその陶片がほとんど見られない、ということです。完品の残存が比較的みられるのは墳墓に骨壺として納められていたものが多いからです。(現在では、それをお茶人さんが水指として使用するので、カルシウムの補給にも役立っています)。

いにしえのやきものは通常、曜変天目のような突然変異や一部の茶陶のような特殊な受注品を除いては、現存する物の数を遥かに上まわる陶片の数が出るものです。

同様の例では、江戸期以前の備前の細工物くらいしかあまり耳にしません。

不識壺に限ってほとんど失敗しなかったのでしょうか?他器種の陶片のそれこそ膨大な量と、不識壺のさして特殊な任務を感じさせるわけでもないない器形からすれば、それも考えにくいことです。

もうひとつあります。肩に「源氏香文様」のような押印がありますが、これも以前はよく「天台修験道の呪符だ」とか「いや、ただの成形時の継ぎ目の補強だ」などと激しく議論が重ねられたものでした(最近はそういう興味や情熱をもった「関係者さんたち」もほとんど絶滅してしまいましたが・・)。この押印のパターンにはいろいろ有り、常滑の生産技術が伝播した日本海側の諸窯のものにも見られます。

たしかに継ぎ目の補強であれば、わざわざこんなものを押さなくてもよく、呪符にしてはけっこうのんびりとした押し様に見え、かといってただのお洒落にしてはあまりオシャレではなかったりします。何でしょうね。

 

とにかくふしぎなふしきつぼ、なのです。