やきもの作りを生業とする者であれば常に認識しておくべき重要なことであるのだけれども、近年何だか忘れ去られているのではなかろうか?と思わせることを少なからず見かけるので、今回はその中からまずひとつ挙げてみます。
作者が「自分が作りたいものを作るのだ!」と思うことは至極もっともなことであり、「作りたくもない」ものを無理に作っていても確かにあまり良いことはないでしょう。
ですが、その作品が「商品」として機能し難く(使い勝手や水漏れの有無などの機能性とはまた別です)、またその出来が不十分な場合、そこに関わった全員が良い思いができません。つまり数回の使用で「不燃物」と化すわけです(“3回の壁”というものもあります)。
このようになる原因は「商品開発企画力の欠如」に他なりません。「やりたい作品」が即ちそのまま優秀な“商品”となっていればまったくそれで構わないのですが、現実としては「商品としての詰め」、言葉を変えると作品としての完成度に目を疑うものが店頭に並んでいるのを、これまた驚くほど高い確率で見かけます。
販売店にとって商品は銃弾と同じで、「弾がナマクラであれば兵隊さんは戦えない」のです。もちろんその逆も然りで、弾が良くとも兵隊がフヌケであれば玉砕せざるを得ないわけですが、どうやらこの業界では「双方お互いさま」であるようで、これは戦略や戦術など以前の話です。
やきもの作者の自宅には自作のものしか無く、自分用の収集品も商品知識も無い業者が多くを占める業界の現状では「顧客心理」など解らなくて当然なのかもしれません。
作品と商品、それぞれの立場に求められる「良さと完成度」というものには、「共通するものもあれば異なるものもある」ということを、その職に関わる者であれば知っておくことが必要です。
やきもの作者が自らの仕事場でやきものを作成して窯から出す、この時点ではまったく本人にとっての「作品」であることに問題はありません。
ですが、それに「価格」を付加し、あるいは何かしらの展示即売会(「個展」や、「“あまりにも安直なものが多い”グループ展」などのことです)などの出品リストを提出し、さらには出品した瞬間、作品は商品となります。まぎれもなくそう「なる」のです。店に並んだ「作品」は一点の例外なく“商品”です。(余談ですが、展示即売会に“非売品”を並べてはいけません。)
この業界は残念なことに「商品企画」「展示会企画」ともに無いに等しいか、有るにしてもそのほとんどが他業種からみれば「会議で真っ先に没、後ほど始末書」の典型とで成り立っています。したがって作者さんたちは,「陶芸販売店」あるいは「百貨店」などにおいて、「企画展、企画が無くとも企画展」というものを次々と引き受けざるを得ないという現実を日頃より少しでも想定しその防災対策を講じ、少しでも良い商品(「作品」ではない)を顧客に提供するのが、まがりなりにも「現代陶芸家(仮称)」と名乗る者の“お勤め”ではなかろうか、などと思ってしまう今日この頃ですが、どうやら中には自らの作るものを“商品”と考えるのを嫌がる作者も少なくはないようです。
そのような作者さんのために私たちが出来ることといえば、彼らが来世、動物園のアリクイに生まれて幸せに暮らしてゆけることを祈ることくらいです。そうなれば彼らは自らアリばかりを探し求め続ける一生を送らずとも、自らが完成された商品となることができます。