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46. いがしがらきについて

 

今回は、伊賀と信楽との違いはどういったところか?という話です。

「その違いが分かりにくい」ということで、実際これはとても多い質問です。

 

比較的簡単ですのでどうぞお付き合い下さい。

まずはその「伊賀」「信楽」が何を指すのか、ということです。

この質問内容から想定される両者の違いは大まかに分けて次の四通りです。

 

1.室町期の伊賀と信楽の違い

2.桃山期の伊賀と室町期の信楽の違い

3.「現代作家」のつくる伊賀と信楽の違い

4.近代以降の地場産業としての伊賀と信楽の違い

 

冒頭の質問が多発する主要因は3.で、現代作家さん達が「伊賀」「信楽」とそれぞれ称して売っているものの区別がいまひとつ分かりずらい、ということによるもののようです。

 

この疑問を解消するために適した回答ならばあります。

 

まず2.に着目していただく、ということです。

これは「桃山期の茶陶」としての伊賀と、室町期の中世陶器の大定番「壺、甕、擂鉢」の信楽のことです。

 

両者の違いは、発生の成り立ち、すなわち作られた目的の違いです。

その姿形や焼成の発想による焼き成りの違いにも一目瞭然の違いがあります。つまり随分異なるやきものといえるものなのです。伊賀はむしろ同世代の美濃のやきものの眷属です。ご近所だからといって一緒にしてはいけません。

「伊賀」は、水指、花入、香合、茶碗(鉢)など、茶の湯に使用する道具として桃山期に制作されたもので(伊賀上野城主筒井定次が天正年間に焼かせたという説がありますが、伝世の伊賀茶陶は天正ではなく慶長様式造形の典型です)、古田織部好みのいわゆる「織部様式の茶陶」のことを指します。それが近代になって再認識され「古伊賀」と呼ばれ、旧大名家の売り立て会などで恐ろしく高値で取引されるに至り、近現代の作者達にもその枠組で作られたものを指します。

それに対して「信楽」は、貯蔵容器として作られた、とくに室町初期から中期の壺のことを指し、壺、甕、擂鉢のなかでも、この場合は特に「大壺」と「蹲」と呼ばれる小壺が主役です。(また信楽には桃山期に「有来新兵衛(うらいしんべえ)の手」と言い伝わる一連の花入や水指また茶碗などもありますが、それらはここで取り上げる「信楽」の代名詞ではありません)

それら「古信楽」が、昭和の半ばになって鑑賞陶器として再認識され古美術市場では一時たいへん高値で取引されるに至り、近現代の作者達にもその枠組みで作られたものを指します。

 

答えは以上で充分かと思いますが、若干補足を付けておきます。

 

上記の1.

桃山伊賀の発生以前、南北朝から室町にかけて伊賀にも壺、甕がありましたが、現在では信楽に紛れているものが少なくなく厳格に両者を区分することはなかなか難儀です。とくに赤土素地で暗色系焼き成りのものに分別困難なものがあります。

ですが冒頭の質問内容は、この壺甕両者での違いのことではなさそうで、これについて尋ねられることもほとんどありません。。

 

上記の4.

近代においての地場産業として、伊賀では土鍋や土瓶、そして信楽では火鉢、タイル、庭園陶器、そして“信楽町内人口より多いが売り上げは少ない”タヌキなどであったようですが、やはりこのことでもなさそうです。

 

さて、冒頭のような質問が多発する現況は、次の原因が考えられます。

まずは、たとえば信楽在住の作者が伊賀風のものを焼いた場合、作品名を全て「信楽~」とする者と、信楽の地で信楽の土を使用していても、伊賀風の作品であれば「伊賀~」とする者(伊賀在住の作者の場合でも同様です)とに分かれます。この場合、緑のビードロや焦げがあり造形にデフォルメなどの変化を付けたものを「伊賀」、“赤あがり”で素直で変化の少ない造形のものに「信楽」と命名“しただけ”のものが市場に多く出回っていて、その両者が混在しているため、見る側にとってその境界が混乱するわけです。

もうひとつは現在、「信楽」エリアから採掘される陶土は非常に少なく、伊賀周辺をはじめ「それ以外の」地域より採土した原料を使用して「信楽風」に焼いたものが当地の信楽においてもたいへん多い、ということによります。

また実際の「伊賀と信楽」は、たしかに峠を隔てて南北に隣接する産地です(瀬戸、美濃などと同じです)が、その陶土は本来ほとんどが触感、焼き肌ともに随分異なる性質のもので、一般によく言われるほどに似てはいません。同じ花崗岩が風化したものといえども地形や斜面が違えばずいぶん異なるのは植生などと同じです。

以上ふたつの原因をまとめると、「信楽風」「伊賀風」のものが双方に混在し、その原料も造形様式も定かではないけれども、それぞれがこれといった規格基準を示すこともなく好き勝手に「伊賀」「信楽」と作品名に付加されている現況が、一般にその境界をわかりにくいものとしているわけです。

 

ですが結局はこうやって文面で説明するよりも、実際にそれぞれの「典型」、つまり「これぞ伊賀の茶陶!」「これぞ信楽の壺!」という現物をそれぞれ実際にご覧いただき、それを基準にして判断してもらうことに勝る方法はありません。

それによって、まったく初心の方でも一見すれば多少の共通点があるにしても、その見た目はハリネズミとウニ、その内容はあるまじき行為とアルマジロの恋くらいの違いはありますので、両者が形態、発生目的、内容共にまるで別ものであることを一目瞭然に確認できるため、冒頭の質問は大幅に減ることと思います。それを基準にしていただければよいのです。もちろん「どちらのほうが凄いのだぞ!!」というわけではありません(ですが購入をお考えの場合は、後述の如くその限りではありません)。

先ず見ていただきたいものは、伊賀であれば慶長前半期までの花入と水指です。歴代日本陶磁の茶陶部門では、圧倒的造形力を持つやきものです。花入水指部門で伊賀は完全王者といえます。造形の緻密さが他と全く違い、これに匹敵するものは同時代に美濃で焼かれた志野茶碗の数碗くらいですが、これらの良いものは生産数、残存数ともに極めて少なく、仮に市場に出ても一般の目には触れず、価格も「家数軒分」だったりするので、残念ながら“展示状態ならびに鑑賞環境の劣悪な”美術館などで文句を言いながら観るのが、まずは手っとり早い方法です。ただし美術館は「出し惜しみ」が常套手段ですので、展示を確認のうえ足を運んで下さい。

いっぽう信楽の壺であれば室町中期までのものが基準となりますが、こちらであれば近年は各種オークションなどでも出回るようになり、ネットオークションでは安価なものは10万円代で落札されることもありますが、時代は間違いのない「真物」であっても「これぞ信楽!」の良い見本が出ることはまずありません。古美術業界の「流通システム」がそのようになっているからです。ですが「しかるべき店」に足を運ぶと、大概「そこそこまともなのもの」のひとつやふたつは置いているはずです。価格は200~300万円程度ですが、伊賀に比べると一桁は落ち、こちらであれば「車一台分」です。

話が逸れそうになりましたが、要は最初のうちに基準とするもの(「つけ石」という言い方があります)は、できるだけ良いものであることが重要で、原風景が大切であるのはやきものに限りませんが、それによって後々の「やきもの人生」は決定されることに間違いはありません。

 

「やきものの常識は疑いやきものを信じよ!」の1.と2.でご紹介している信楽大壺と蹲は「つけ石」に使っていただいてよい信楽ですのでご参考にどうぞ。

伊賀・・・は、やはり「美術館で文句を言いながら」観て下さい。