やきもの販売店にやってくるお客さんにはずいぶんいろんな人がいて、と言えばごく当たり前の話で済むのですが、実際には限られた幾つかのパターンに分類できてしまいます。
1. 買いに来る人
2. 買いに来たわけではない人
まずは、2.を小分けにしてみます。
- 買うという前提は全くなく、「見に」来た人。
- 買うという前提は全くなく、「覗きに」来た人。
- 買うという前提は全くなく、「あそびに」来た人。
- 前提は存在せず、通りすがりに入って来てみた人。
- 偵察に来た同業者(通常、会期後半にやって来る)。
- 見学にきた実作者(本当にモノそのものを「観」ようとする者は稀で、どうやって作っているかなどの 「陶芸教室スタイル」でしか見ることのできない「プロ」も想像以上に多い)。
では次は、1.の人達についてです。この人達は、意中のものがあれば買う、という前提でやって来ます。買い方についてこちらは千差万別で、
- 決着の早い人遅い人(最速では入場した瞬間、遅い方では会期の終了後までといろいろあります)。
- 質問の多い人少ない人(多い方ではまる一日、少ない方は皆無までといろいろあります)
- 「安い!」と言って喜んで買ってゆく人、「高い・・」とボヤきながらイヤそうに買って行く人(店、作者ともにこれが嬉しかったりするものです)。
- 値切る人値切らない人(値切り方にも品性の有無があり、きれいな値切り方に遭遇すると感心したりしてしまいます)。
と、以上のような大別になります。このなかで目立った傾向といえば、比較的高額の買いものをする人は、決着が早く質問が少ないことです。買い慣れているというより、美意識にかかわる問題かもしれません。(高額の買い物をする人が、お金をたくさん持っている人であるとは限らないことも、この業種の特徴です)
値切り方がきれい、と感ずるのは、相手の値踏みが適正であることに加え、みそめたものに対する「落とし前」ともいえる責務の取り方が身に着いていることが、こちらに伝わってくる場合です。値踏みするというのは、自己基準の設定です。値切りはそれをこちらに提案してくるという事です。そのやり方が見事!であれば、「どうぞ」となるわけです。
当然のことですが、汚い値切り方(ただとにかく値切るなど)は人格を疑われるだけにとどまらず、良いものを入手する機会が失われてゆきます。(こちらは因みに、きたない値切り方をする人ほどお金をたくさん持っている、という傾向がみられます)
商売は、実践心理学です。「芸術家」の仕事を上回る「芸術性」が要求され、このことに例外は認められません。
その国の経済事情や国民の質が悪化しつつある、と感ずる時にはまず真っ先にその点を検証してみればよいと思います。
指導者や権力者に品性を欠くと、下々に至るまで下劣なものとなるのは自然の摂理です。
全体の表面に何かしらの問題が感じられるときには、必ずそれを構成する個々の内部にかなりの問題がある、ということです。
「この業界」ひとつとっても、それは明らかに体現されているのです。