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このコーナー「やきものの常識は疑え!」は、やきものギャラリーおよび美術館の企画、または関連書籍や陶芸作家の言動や作品、あるいは、現代社会において楽しく充実した生活を送るすべを心得ておられ、現在この国は民主主義であると何の疑念も抱かずに受容されている方にとって、必要なことは何一つ書かれていません。閲覧により不快感、吐き気、嘔吐、食欲不振、めまい、ご家族への八つ当たり等の症状があらわれた場合、ただちに閲覧を中止し、当方ではなく医師・薬剤師・唎き酒師・祈禱師などにご相談下さい。乳幼児、小児にこれを読んで聞かせる場合はご家庭の教育方針への抵触にご注意下さい。また、本稿を閲覧しながらの自動車及び機械類の運転操作はしない下さい。

81. 「窯変」は「窯・変」

 

 

やきものに多少なりとも関わっていると、「窯変(ようへん)」という言葉に接する機会は多いかと思います。

産地や作者によっては、作品名にこの「窯変」と付加されたものが、それ以外のものより高価であったりします。

 

この「窯変」の実態とは、いったい何がどのようになった状態のものを指し表すのでしょうか?

 

この答えはたいへん簡単なものなので、ひとことで言い表すことができます。

 

「窯変」とはやきもののことです。

やきものである、ということは即ち窯変以外の何ものでもありません。

つまり“窯に入れて加熱された物質の分子構造の変化”、略して「窯変」です。

そのようなわけで、窯変とはやきもののことですので、やきものでさえあればそれが「窯変」です。

 

面白かったですか?

ぜんぜん面白くありませんね。

 

それではあくまで余談として 、近代以降、何かしらの都合で「窯変」と呼ばれているものを幾つか紹介してみましょう。

 

 

そもそも「窯変」という変な言葉がわざわざやきものの作品名にひっついているのは、売る側が価格を吊り上げるためです。枕詞として付加価値になると考えているのでしょう。

ですが、そう名付けられた多くのやきものは、なぜか決まってゲロゲロと土肌もへったくれも無い気持ちの悪いものです。これは高度成長期(いま思えばすごい呼称ですね)の備前に端を発するようです。「窯変」が主要である伊賀あたりではそれに該当するものにいちいち「窯変」などと前置きが付いていません(近年ではどうだか知りません)。

このようなものばかりに「窯変」と名付けられているのは、他の窯変に気の毒で実に忍びないものです。

「窯変」の実態はすでに述べましたので、一般に「窯変」と呼ばれやすいものの代表格を二種紹介してみます。しつこいようですが、これらはあくまで「窯変の一部」です。

 

・灰被り

文字通り、器壁に灰が被って固着したものです。

薪窯の場合では、薪が燃えてアルカリガス化したものが累積された場合と、炉床で燠と化したものが薪の落下や攪拌により舞い上がって付着したものが主ですが、窯詰め時に予め粉末や水に溶いた灰を施釉する場合もあり、この方法は古代より中国、日本で行われています。

施釉されたものか否かは、平安期の渥美陶のように溶けずに刷毛目状に残りそれと判り易いものから、焼成中に降り掛かったものと混在し判別し難いものまでいろいろあります。「自然釉」などと呼ばれているものは、焼成中のものを指しての呼称ですが、実際にはそうでないものもけっこう有りますので、不明なのであれば下手に使わないほうがよい呼称です。

古代のものも基本的に肩や頸部に「自然釉」を疑似して施釉されているので、「昔の人は無作為に図らずして灰被りを得た」という、多くのやきもの本に書かれている説は明らかな間違いです(もとより「無作為」という言葉を無闇矢鱈に使用する人の多くは、人間についての考察が浅薄で他を見下す傲慢な傾向があると思われます)。「昔の人」の美意識と作為は、どのように見ても現代人を遥かに凌駕しています。

 

話を戻しますが、「自然釉」の場合は窯の形状、傾斜、天井高、そして本来の主要築窯作業である窯詰めによりその景色が異なり、古代から中世のやきものでは特に産地による特徴が表れていて、そこから窯の形状や窯詰めの状態、位置などを推測できる個体も少なくありません。

細かく点在した「胡麻」、ガラス状に流れ玉垂となった「ビードロ」と呼ばれるものも灰被りの一種ですが、通常は厚めのボリュームで広範囲に重なり、その一部または全部が失透したものがそう呼ばれる傾向にあります。

失透するのは冷却時の失透や薪材の珪酸などの作用によりますが、胎土により同じ冷却時(仮に同時間だとして)に失透しやすいものと、しにくいものがあります。備前などで降灰が一度透明な玉垂状(ビードロ)になっていても、それが冷却により黄色(または青)く失透しているのは、備前の胎土が他に比べてもアルカリに過剰反応しやすく、また冷却時に結晶を析出させやすいからです。

備前陶の「窯変」が細分化されるほど多様なのは、他産地に比べこのアルカリに対する過剰反応の顕著が主因です。「紫蘇色」も、陶芸本などで書かれている「鉄分云々」が主要因ではありません(「鉄分」というのは、やきもの関連で登場する場合には実に曖昧で胡散臭い言葉です)。

灰が被った場合、少量であれば素地に吸収され肌の一部となりますが、肌の艶や緋色や紫蘇色と呼ばれる赤茶色の発色も実は「ささやかな灰被り」といえるものです。

因みに備前陶の場合には、一度紫蘇肌に吸収されたものが冷却条件により再び黄胡麻となって析出される場合が多々あり、特に古備前にはこの例を多くみることができます。

 

 

・サンギリ

先述の、高度成長期の備前に端を発する「窯変」という売り文句の源流がこの「サンギリ」です。サンギリが現れているものが「窯変」だと思っている愛好者や業者は今でも存在しているほどです(作者ならば×です)。

 

サンギリ(桟切り)と呼ばれているものには幾つかの成り立ちと種別があります。

 

成り立ちで大別すれば、1.冷却時に燠(炭の一種だと思って下さい)に埋もれていたもの、2.湿気、アルカリ、一酸化炭素の作用によるもの、3.胡麻が経年により剥げ落ちて下地の灰色が露出したもの(実際には「サンギリ」ではなく、遠目に見ればそれらしく見えることから仲間入りしている)ということになります。

この中で「元祖・人呼んで窯変」は1.の燠に埋もれて灰色を基調とした皮膜の一種ということになりますが、これも「高度成長期」と「古備前」とでは成り立ちが異なります。

前者は窯の構造をそれ用に工夫したもので、具体的には炉床に作品を「転がし(寝かせて)」窯詰めするために設けたスペースにレンガが「桟」の状態に組まれていることより「桟切り」呼ばれるようになったようです(では「切り」とは何だ?についてですが、その語源を調べてもたぶん出て来ないと思いますので・・「桟」は元々木を格子状に組み合わせた様子を表した文字なので、窯材をそのように組んで出来た隙間の部分を「切る」と表現し、そこで採れるもの「桟切り」と命名したと思われます・・ややこしいですね)。
その場合に灰に埋もれているだけでは生焼けとなるため、下から空気を送るロストルが桟状に組まれているわけです。やきものの窯にロストルが導入されたのは近代というイメージがあるかもしれませんが、実は古代須恵器の窯にも少ないですが存在した、燠に送風することにより昇温を目的とした装置で、古代製鉄における「ふいご」にあたります。5世紀頃に製鉄技術とともに朝鮮半島より伝来した製陶技術なので不思議なことではありません。

ですが、ここでいう近代備前の場合は、最初から「サンギリ」を狙うために工夫された窯の設計です。

では、古備前におけるサンギリ1.はどのような成り立ちであったのでしょうか。

「古備前」とは通常、鎌倉中期から江戸初期までのものをそう呼びますが、各時代によって技法の異なりとともに「サンギリ」の成り立ちも異なります。

大別すれば、鎌倉期のものには須恵器の流れを残した東播磨などの影響が感じられ、全体に肌が灰色のものや、胡麻も「青胡麻」と呼ばれるモスグリーンのものが多いものです(「鎌倉期~室町前期には雑木を使用したので青胡麻になった」などと本に書かれていたりしますが間違いで、薪のせいではなく焼成条件によるものです。因みに室町期の常滑独特の白い灰被りは薪による影響です)。
陶胎が全体に灰色ががるのも冷却時の浸炭によるものですが、成り立ちが異なるので「サンギリ」とは呼ばれません。この時期のものには、ここで説明している「サンギリ」はあまり見られないのが特徴ですが、あるいは全体が燠に埋まってサンギリと同じ成り立ちながら、そう判定し難いものも中にはあるかも知れません(実際には、経年で摩耗していてもよく見ればガラス化した燠の付着が残るので判ります)。

室町期になり、同時期の他の古窯(珠洲を除く)同様、冷却時に意図して浸炭させない焼成(いわゆる自然冷却です)となると、各時代を通して最も王道といえる「サンギリと呼ばれる景色」が出現します。

なぜ「と呼ばれる景色」なのかといえば、これらとその後に続く桃山期のそういった景色を意図して後に「桟」を使って出したのが「サンギリ」なので、元祖サンギリは実は「サンギリ」ではなかった、という少々ややこしい話となります。

これら「元祖」には、1. 2. 3.の成り立ちがすべて存在しますが、桃山期の茶陶には1.の変種が存在します。古陶に詳しい方であれば桃山期の備前、特に花入と水指には同じ個所に同じ形状の「サンギリ」が現れているものが複数あるのをご存じかと思います。

どうやらこれを発明した近代の作者さんは、当初この景色を狙った工夫の結果、窯にサンギリ用の構造をもつ部屋を設け、かつ焼成の過程で木炭を投入したりしたのが、先述した高度成長期以降における「窯変」のアイコンと言える「ゲロゲロ炭サンギリ」です。

ですがこれら桃山期茶陶の「サンギリ」はもっと簡単な工夫によるもので、要は一度焼成したものの任意の箇所に炭を含んだ灰を被せ、より低温域の場所で再度焼成したものです。

中世から近世のやきものは目的に応じて何度か焼成するのが当たり前だったのですが、明治以降、この国においても産業革命以降の技術が導入され効率主義になったせいか、昭和の「サンギリ」が発明された頃には、各産地で窯は一度で焼いてそれで製品にならないものは破棄するという、結局は非効率、言葉を換えて控え目に言うと単なる勉強不足による素材に失礼な方法が蔓延していて(人前で「失敗作」を壊すのを見せものにする大バカ野郎すら存在する)、現在においても今だに「窯は一回で焼いたものこそ正しい」と信じている人も僅かながら残存しているようですが、つい20年ほど前まではそういう愛好者や作者がけっこう大勢いたものです。これは明確な誤りですので、ここまで本稿にお付き合い下さった方々にはぜひとも認識しておいて下されば幸いです。

 

次にサンギリ2.についてですが、これは燠に埋もれたものではなく、薪の燃焼で発生するアルカリガスが釉状にコーティングされた表面に外気の湿気(水素)を介し、煙や炉中の燠による一酸化炭素が浸炭することでグレー系に発色するもので、窯の位置により低温域では火前、高温域では窯中の温度の低い窯奥で発生しやすい傾向にあり、表面が溶解せずに重層化したものはその様相から「榎肌(えのきはだ)」や「メロン肌」と呼ばれています。この2.については、備前では暗灰色でも信楽では白色系のものが多いなどの理由は、素地の炭素に対する反応性によるものです。

つまりこのサンギリ2.は、「サンギリ」として認識されることが多いものの、実際に窯の「桟」は関わっていないので正確には「サンギリ」ではありません。結論としては、「サンギリ」は狭義では“近代備前のそのような意図による装飾技法によるもの”、広義としては ‟とにかくそのように見えるもの“ということになります。

 

サンギリ3.につきましては、これは単なる経年劣化ですが、それが景色となるならば「劣」が「変」に代わります。須恵器にも特に多く見られ、先の灰被りやアルカリ分の多い釉、例えば古瀬戸などにも多く見かけるものです。因みに黄瀬戸ではこれが少ないのは黄瀬戸がいわゆる「灰釉」ではないからですが、これも現在も誤解されていることが多いようです。

 

 

そのようなわけで、「窯変」といえば今回紹介した「サンギリ」と「灰被り」またそれらが混在した様相のものと認識している愛好者や業者、作者に至るまで決して少なくなく(作者ならば×です)、それらはあくまで「窯変の一種」にすぎません。

やきものであれば即ち窯変ということは冒頭で述べましたが、焼成によってその表面に現れる目立った景色も「窯変」と呼べるものも多く、灰被りやサンギリ以外にも、御本と呼ばれる赤斑や青味の鹿の子斑、斑唐津の青斑、片身替り、志野や信楽でいわれる緋色、天目系黒釉の禾目など、その他にも多数いろいろあります。

一方、景色を成すけれども「窯変」と呼ぶには適切でないものとしては、梅花皮(かいらぎ)、石ハゼ、ウニ、ピンホールなどで、いずれも素地や釉の乾燥時にすでに顕在しているものが焼成でより目立つ、という類のものなので“窯中での焼成による物質の変態、略して「窯変」”とはまた成り立ちが異なるものです。

 

まとめ

窯で焼成しやきものとなることが「窯変」ですが、その副産物として現れる釉調の変化や付着物が成す景色も「窯変」と呼んでもかまへん。

但し、作品名にまで「窯変」が付着し、それが他のものより価格が高く設定されている場合には、まずはその作者の人品を疑ってみるのも一興でしょう。中には業者が一括下代で仕入れたものを、「窯変」として価格を上げている場合も産地などでは見られますが、その場合は業者の問題です。価格が同じかそれ以下であれば、笑って無視して下さい。

 

あとがき

このたび「窯変について」というリクエストを頂きましたので、今回はふつうにやきものの話として推敲や加筆修正も無しに少々連ねてみただけなのですが、それでもどうしても結果として「常識は疑え!」の気配を帯びてしまったようにも感ずるのは、現代の村(「ムラ」です)社会において「常識を疑う」という行為が非常識なせいだからでしょうか?