短い やきものの常識は疑え!始めました。
「やきものの常識はまず疑え!(「まず」はなかったかも知れない)」では、文が長い(実際には草稿の五、六分の一ほどに省略している・・)、解らん(やきものに興味を持ち始めて間もない方々にも解る内容を、と常に心掛けているが・・)、という方もいらっしゃるそうなので、出来るだけ短く平坦に♡を心掛けてのこの欄です。自己営業妨害といえる本編で、すでに触れた内容もそうでないものもあります。 解りやすいが故に自律神経などに支障をきたし、ご家族に八つ当たりなされても当方は一切責任を負いませんので、その場合の捌け口は劣悪な国政ならびにそれを許容する現代社会にお求め願います。

その24.

 

その24. 「やきもの」と「陶芸」の違いについて

 

やきものとは、人間に土や石が焼かれて何らかの形を成したものです。

やきものを作って焼くことは、「作陶」(陶磁器製作の略語なので”磁器”も該当します)といわれます。

では、なぜ「陶芸」という言葉が出現したのでしょうか。

「陶芸」は昭和以降、生活必需品(「必需」は人によって随分異なるが)としてではなく、趣味の愛玩物を目的とした作陶行為を指すようですが、その後一般に浸透したようです。

それらの違いについての基準が明示された実例をみないので、勝手に区別することにしています。

自己表現を目的とした作陶行為を「陶芸」、それ以外のものが「やきもの」です。

実に簡単な区別ですがそれでよいと思います。図らずも結果として「自己表現」となっていたとしても、それが実際に作者の目的でなければ「やきもの」です。

念のため、これは決して「どちらが良いか?」ということではありません。

自己表現として「陶芸」を志す者はまずはその前提として、いちど焼くと向う数億年は土に還らない素材を扱うに値するだけの、地球という存在に対等の「自己」を形成する必要があります。技術以前に先ずその人間そのものを問われることになりますので、これはなかなか大変そうです。「陶芸家」は自己申告制といえど、”人生の成れの果て”とも云われる「陶芸家」による真っ当な陶芸というものになかなかお目に掛かれないので、やはり「超人」の出現を待つより他になさそうです。