その28. 見込です
茶碗や酒盃で最も重要な部分は見込です。部分というより、見込こそが本体と言って過言ではありません。これがダメだと他のどの部分が良くても「ダメな器」です。
皿、鉢、向附なども同様ですが、使用即ち見込を覗くという器種は殊更です。因みに、徳利の見込はあまり認識されていないようですが極めて重要です(詳細は本編No.40、77に記載)。
紀元前中国の「老子」には既に、やきものの何もない部分をもって用と成すのが器だという内容があります。「器」の語源が「虚」からという説には頷けます。「何もない虚空」を仕切る周辺物体として器というものがあるわけです。
その周辺物体の質がそれに囲われた空間の質を決定するのは建築などと同じで、「部屋」は壁、柱、天井、窓などに囲われた空間で、そこに置く調度品を併せ居住空間の質となるのは、茶碗と茶、酒盃と酒の関係性と同様です。
見込の次に大切なのは姿です。器は見込と姿さえ良ければ「買い」です。
やきものでは成形の性質上、姿は見込の成形に連動します。やきものでそれらと同等に重要なのは材質感くらいです。あとは口辺がのこぎり、水漏れアリ、踊るやつ(これらは後でどうにでもなります)、高台が”なると”、目方が筋トレ対応、などはずいぶん可愛らしいものですが、逆にこれらが如何に良くとも、見込、姿の良くないものは「捨て」です。
ここまで述べて元も子もないことですが、現代陶で「良い見込」を見つけることは容易ではありません。