短い やきものの常識は疑え!始めました。
「やきものの常識はまず疑え!(「まず」はなかったかも知れない)」では、文が長い(実際には草稿の五、六分の一ほどに省略している・・)、解らん(やきものに興味を持ち始めて間もない方々にも解る内容を、と常に心掛けているが・・)、という方もいらっしゃるそうなので、出来るだけ短く平坦に♡を心掛けてのこの欄です。自己営業妨害といえる本編で、すでに触れた内容もそうでないものもあります。 解りやすいが故に自律神経などに支障をきたし、ご家族に八つ当たりなされても当方は一切責任を負いませんので、その場合の捌け口は劣悪な国政ならびにそれを許容する現代社会にお求め願います。

その31.

 

その31. 手間な話

 

「手間暇」とは何でしょうか。

「これだけの手間がかかったのだから、これだけの対価を貰わなくては」という作者は少なくありません。

そういう作者はダメな作者です。

「手間」という発想が、すでに自発性を失した労働という認識となっていて、もちろんそれは作品に反映されます。いかに精緻な造りでもやきものとして魅力がなく、公募展の審査員くらいにしか喜ばれない数多の作品は”手間暇の産物”なのかもしれません。

 

やきもの愛好者が評価し興味の対象となるのは、やきものそのものであって手間暇ではありません。

作者たちもその「手間暇」こそが即ち、わざわざ志して生業としている作陶という行為であるわけです。

 

将棋などは、平時本番共にとても手間でたいへんそうに思われますが、手間暇かけた者の勝ちではなく手間暇を売りにする者もいません。相撲取りも稽古の質量は結果に反映されるものの、稽古時間による星の加算や、膨大な稽古の末に負けが込んでも「努力賞」はありませんし、ケガをすれば休場や引退あるのみです。これらは、「手間暇」なるものが生業または生活そのものであり、取り立てて言うに及ばないものだからです。

やきものも、買う側にとってそれが「良いやきもの」であるということ以外に、支払う対価はびた一文も無いのです。

世には決して「時給換算」など出来ない仕事もある、というごく当たり前のことも忘れ去られつつある現世のようです。