あおき けん
まずは生い立ちから。
私は1971年大阪の堺市北野田に青木家の三男として
生まれました。
体育と図工が好きな小学校時代、学校横の池から
何やら古い陶器が発掘されたと話題になりました。
陶片を見つけた同級生はヒーローになり、
その泥臭い「モノ」に興奮したのが陶器との
出会いだったと思います。
もちろん生活で使っていた茶碗や花瓶も陶器でしたが
心を揺さぶったのはその時の体験からです。
後に知りましたが陶片は須恵器というもので堺では
盛んに焼かれていたようです。
私が今住んでいる滋賀県の信楽町は焼き物の産地です。
いにしえの陶器の産地堺から、陶器の町信楽で
もの作りをしているのが不思議で何かに導かれている
様な感覚です。
1993年から4年間(株)陶光庵にて
岡本太郎氏の大型陶板などの制作に携わりました。
1997年から19年間、明山陶業(株)にて
花器、食器、陶人形の制作、開発
スタジオジブリとのコラボがいい思い出です。
2015年に独立
sunny-craft工場長
青木陶芸研究所を設立
研究所についてですが公共の機関ではなく
一人でやってます。
ライフワークとして自分の視点でやきものを見つめ
研究テーマは形や素材であったり窯の構造、焼成方法、歴史、経済、等々多岐にわたります。
今興味がある事は「薪を使った焼き物と社会との関係」です。
薪の窯は大変だと誰もが言いますが
やっている本人は楽しくやっています。なにごとも
「やってみなくちゃわからない」
ものづくりは未来の為にするものです。
自然を汚したり、人を傷つけたりすることが
極力ないようにするのが
3.11以降の社会には必要だと思っています。
いつものように車のナビに騙されて道に迷いながら、青木拳さんの工房を訪れた時のことだ。
野性的なリュトン(角盃)に驚かされ、精緻な都市計画のようなオブジェに胸を躍らせたひとときだったが、母屋と離れの作業場の間の道あるいは庭に小石が敷き詰められてあった。
ちょうど、河口部の海岸にガラスや石が川や波で削られ丸くなったものが見られることがあるが、それが山ほど敷き詰めてあったのだ。散歩がてらに拾ってきたのか?いや信楽の近くに海は無い。そもそもちょっと拾ってきたという量ではなかった。
後で聞いたがそれは、青木さんの作品だった。拾ったのではない、造ったのだった。
山奥の石が長い時と距離を経て海で丸い石となるその時空間を作品として表現することに恐れ入った。彼の感性の生み出すものをもっとみたいと思った瞬間だった。 (主)